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新潟地方裁判所 昭和35年(ワ)72号 判決

原告 長沢吾作 外二名

被告 電気化学工業株式会社

被告補助参加人 電化青海工場労働組合

主文

原告長沢吾作と被告会社との間に昭和二一年一二月一一日、原告宮川久昭と被告会社との間に同二三年五月一一日、原告山本善一と被告会社との間に同年同月一日それぞれ成立の被告会社を傭主とする期限の定めのない雇傭契約の存在することを確認する。

訴訟費用のうち、被告補助参加組合の参加によつて生じた部分は同参加組合の負担とし、その余は全部被告会社の負担とする。

事実

第一当事者双方のもとめる裁判

一  原告らのもとめる裁判

主文と同旨の判決。

二  被告会社のもとめる裁判

「原告らの請求を棄却する。」との判決。

第二当事者双方の事実上および法律上の陳述

一  請求の原因

1  被告会社は東京都千代田区有楽町一丁目一〇番地に本店を置き、新潟県西頸城郡青海町その他に工場を設け、セメントの製造販売などを業とする株式会社である。その従業員の数は約六、〇〇〇名であるが、そのうち右青海町所在の被告会社の青海工場(以下たんに「青海工場」という。)に勤務する従業員数は約三、六〇〇名であり、その従業員のうち約三、四〇〇名が同工場唯一の労働組合たる電化青海工場労働組合(補助参加組合。以下たんに「参加組合」という。)を組織しているが、そのほか被告会社の他の工場および事業場単位でそれぞれ労働組合が組織されており、それらの労働組合が連合して電気化学労働組合連合会を組織している。

原告長沢吾作は昭和二一年一二月一一日、原告宮川久昭は同二三年五月一一日、原告山本は同年同月一日にそれぞれ被告会社との間に同会社を傭主とする期限の定めのない雇傭契約を締結し、その従業員として右青海工場において勤務し、参加組合の組合員となり、同三三年五月以降は同組合の執行委員の地位にあつた。

参加組合は、昭和三四年八月四日、原告らにたいして、原告らが組合の規約に違反し、組合の統制を乱したものであるとして、参加組合の組合規約(昭和三三年五月三〇日実施)第四九条、第五〇条にもとづき除名する旨の通告をした。そして、被告会社は同会社と参加組合との間に締結された労働協約(昭和三四年三月一八日実施)第一〇条の「会社は組合から除名された者を解雇する。但し、会社が不当と認めた者はこの限りでない。」とするいわゆるユニオン・シヨツプ条項にもとづき原告らが参加組合から除名されたことを理由として、右同月八日付けをもつて原告らを解雇する旨の意思表示をした。

2  しかしながら、(イ)原告らには参加組合の主張するような除名の事由に該当する組合規約違反の事実がまつたく存在しない。また、(ロ)右除名手続を行なうときには、参加組合の組合規約第五八条の定めるところにより、除名について開かれる参加組合の一切の会合に出席させ、その処分をうける組合員に弁解の機会を与えなければならないにもかかわらず、原告らは本件除名にかんして開かれた職場大会、職場委員会、職場説明会などの会合に出席の機会を与えられず、さらに、(ハ)右組合規約第五八条の定めるところにより、本件除名の可否につき昭和三四年八月三日、同四日の両日にわたつて行なわれた一般組合員の無記名投票にあたり、投票立会人が投票者に除名賛成に投票するよう指示するなど投票者の意思を著るしく束縛して自由な意思表示をすることを妨げ、よつてその投票につき不当な強制ないし影響を与えた。

したがつて、本件除名は実体上の理由がなく、かつ手続の点においても組合規約に違反する重大な瑕疵があるため、無効である。

3  ユニオン・シヨツプ条項にもとづく解雇は組合の除名の有効であることを前提とするものであるところ、前記のとおり参加組合が原告らにたいしてした本件除名が無効であるから、その除名にもとづいて昭和三四年八月八日付けで被告会社が原告らにたいしてした前記解雇もまた当然無効である。

したがつて、前記雇傭契約にもとづき原告長沢は昭和二一年一二月一一日から、原告宮川は同二三年五月一一日から、原告山本は同年同月一日からそれぞれ引き続き現在にいたるまで被告会社の従業員たる地位を有している。

4  しかるに、被告会社は昭和三四年八月八日以後は原告らをその従業員として取り扱わず、賃金の支払いを拒絶し、前記雇傭契約が引きつづき存在することを否定している。

5  よつて、原告らは、被告会社と原告らとの間に前記雇傭契約の存在することの確認をもとめるため、本訴請求におよんだ。

二  請求の原因にたいする答弁

1  被告会社

請求の原因第一、四項の事実は認める。同第二、三、五項は争う。

2  参加組合

請求の原因第一項の事実は認める。同第二項の事実は争う。

三  抗弁

1  被告会社の抗弁

被告会社は、昭和三四年八月四日参加組合から原告ら三名を除名した旨の通告をうけたが、右除名は、後記のとおり、組合規約に定める除名事由に該当する事実があることを事由とし、適式な手続を経てされたものであつて、実体上の理由があり、かつ手続の面においても適法なものであるから、前記労働協約第一〇条にもとづき昭和三四年八月六日付けで原告らにたいし解雇する旨の意思表示をしたのである。

(一) 除名の事由

(イ) 除名の背景

被告会社は、大正一〇年頃、当時人口四、〇〇〇人位の半農半漁村であつた新潟県西頸城郡青海町所在の黒姫山から採掘され、ほとんど無尽蔵と誇称されていた石灰石を原料としてセメント、石灰窒素などを製造する青海工場を設け、その後同工場でセメント、石灰窒素、カーバイトのほか、塩化ビニールなどの有機合成化学製品の製造に従事してきたが、現在では青海町はその人口約一七、〇〇〇人のうち、およそ一〇、〇〇〇人が被告会社の関係者でしめられるという程の工場の町に発展している。

訴外日本カーバイド工業株式会社、信越化学工業株式会社および昭和電工株式会社の三社は、さきに前記青海町の豊富な埋蔵量を誇る石灰石に着目し、被告会社の諒解のもとに石灰石採掘のため共同で訴外日本石灰石開発株式会社を設立し、昭和三三年五月に操業を開始したが、その頃、右の三訴外会社は強力な資本をバツクとして、さらに共同して青海町の石灰石を原料とするセメントの製造および販売を業とする明星セメント株式会社(以下たんに「明星セメント」という。)を設立し、被告会社が青海町田海地区に建設した塩化ビニール、メラミンなどを生産する有機合成化学工場に隣接する同町寺地地区に右明星セメントのセメント工場を建設しようと企て、工場用地の買収など諸般の準備活動を強力に進めてきた。そして右用地買収などにつき、青海町在住の同町々議会議員たる訴外戸田軍平が中心となつて「青海町工場誘致促進期成同盟会」なる団体が結成され、明星セメントの出先機関としてその工場建設に協力する運動を展開していた。

ところで、被告会社は(1)青海町内の田海地区に有機合成化学工場(以下たんに「田海工場」という。)を建設しているが、これは青海工場内に設けられているセメント工場の塵埃をさけるためであつたにもかかわらず、前記のとおり明星セメントの工場建設予定地が塵埃を絶対にさけなければならない性質をもつ有機合成化学工場である田海工場に隣接していること、(2)現在、セメント工業界は過当競争の状態にあること、(3)国鉄北陸線の貨車輸送が飽和状態に達し貨車の配車に著るしい不自由をきたしていることなどの理由により被告会社は明星セメントにたいしてセメント工場を他の場所に建設するよう要請したが、明星セメントおよびその共同設立者である前記三訴外会社はこれを拒絶し、膨大な資本力にものをいわせ、相提携して被告会社を打倒しようと企てたので、被告会社はもとよりその一従業員にいたるまで企業防衛の本能から一斉に明星セメントの進出に反対する運動に立ち上ることとなつた。

右のような状況にある昭和三三年五月二八日、参加組合の昭和三三年度第一回定期大会が開催され、同大会において緊急動議として明星セメント誘致反対決議の提案がされた。同提案について、原告長沢は質問の形で、「眠れる国家資源を被告会社だけが独占することは不当ではないか。」との発言をし、また原告宮川は、「本大会においては右提案の議決を留保すべきである。」旨主張していたが、最終的には反対がなく、結局、満場一致をもつて明星セメント誘致反対決議が可決され、右大会の決議にもとづき参加組合執行部はもとより大多数の組合員が明星セメント誘致反対の運動に挺身するにいたつた。

(ロ) 権利停止

(1) 権利停止の事由

(A) しかるところ、昭和三三年一二月九日、突然、電化従業員革新同盟(以下たんに「革新同盟」という。)なる発行名義で「労組の諸君に告ぐ」と題する右同月一日付けのビラ約三、〇〇〇枚がひろく参加組合の組合員に郵送された。右ビラの内容には、「参加組合は前記昭和三三年五月二八日の組合大会で明星セメント誘致反対の理由である企業防衛についてすら討議せず、さくらを使い議長職権の名をかりて、迎合的拍手により明星セメント誘致反対を決議し、骨抜きになつた哀れな労組の姿をさらしたものであり、かかる決議ははなはだしく労働運動の本質から逸脱したものである。」などといつて、前記組合大会の決議をひ謗し、右決議の実行に努力する参加組合執行部を痛罵する趣旨のものであつたため、参加組合の組合員はひとしく異常な衝撃を受けた。そこで参加組合としては、ただちに右ビラにかんして昭和三三年一二月一〇日、同二二日の二回にわたり執行委員会を開催し、右ビラ配布行為が組合員の手によつてされたものであるとすれば、許すべからざる統制違反行為であることを確認し、その対策を参加組合の昭和三三年度第七回中央委員会に付議したところ、同中央委員会ではただちに調査委員会を設け、調査委員会委員長渡辺岩雄ほか四名の委員を選任し、前記革新同盟のビラの調査にあたらせた。右調査の当初においては、容易に右革新同盟の実体につき端緒がつかめないでいたところ、たまたま次いで配付された昭和三三年一二月二七日付けの革新同盟のビラ第二報を印刷した印刷所が富山県魚津市所在の中部印刷所であり、右ビラの印刷を注文した者が訴外日本カーバイド工業株式会社であることが判明した。そのほか右のビラには被告会社の東京本社で行なわれた参加組合の年末手当要求交渉の模様にふれた記事が掲げられていたが、同記事の内容に右団体交渉に直接関与したものでなければとうてい知り得ないような事項があつたところから、その交渉に参加組合の役員として参加した訴外関平作、倉又武雄、大越某および原告長沢吾作の四名のうちに、右革新同盟発行のビラに関係した者がいることが明らかになつたところ、間もなく原告長沢が前記訴外戸田軍平とその頃頻繁に往来していることが判明した。このような端緒から、およそ以下のような事実が確認された。

(B) 昭和三三年一一月一六日午後九時頃、前記訴外戸田軍平の招きに応じて、同訴外人宅に原告宮川、訴外青代勘一郎、加茂敏雄らが集まり、訴外戸田の提唱にもとづき革新同盟なる名称で、参加組合内において明星セメント誘致反対決議に反対し、明星セメント誘致賛成の傾向を助長する活動をすることを決めた。その際、訴外戸田から参加組合の前記組合大会の議事録の入手方を依頼された原告宮川は、右依頼にしたがい、組合事務所において、事情を知らない組合事務員からひそかに右議事録を借りうけ、これを部外者である訴外戸田の閲覧に供し、もつて同訴外人の前記明星セメント誘致運動に便宜を与えた。

(C) 昭和三四年三月一〇日午後六時頃、訴外戸田軍平の招集により、糸魚川市内の相沢飲食店に原告長沢、宮川ほか数名の者が会合し、参加組合の前記明星セメント誘致反対の決議にもとづく明星セメント工場建設反対運動を挫折させるための具体的な運動方針として、とりあえず参加組合から一〇〇名の組合員を訴外戸田らの同調者として獲得するよう努力することなどを協議決定した。

(D) 右同年同月一四日午後七時頃、前記相沢飲食店において訴外戸田および原告ら三名のほか、一〇数名の者が集まり、それまで同人らが「革新同盟」なる名称のもとに活動してきた運動をあらたに「職場を明るくする会」の名称のもとに続けることを協議決定した。

(E) 参加組合は、日本労働組合総評議会(以下たんに「総評」という。)の加盟組合ではなく、またこれに加盟する意図ももつておらず、その一般運動方針についてはむしろ総評と傾向を異にし、全日本労働組合会議(以下たんに「全労」という。)加盟を志向し、全新潟労働組合会議(以下たんに「全新労」という。)との提携を深めるとの運動方針をたて、昭和三四年五月二六日の組合定期大会においてはその旨の運動方針を決議しているにもかかわらず、原告らは同年四月三日、「組合(参加組合の趣旨)が明星セメント反対運動を展開して、組合員にその協力を強いるので、このような圧力下に苦痛を感じるものはすべからく最大の味方である総評、新潟地区労働組合協議会(以下たんに「地区労」という。)に救を求めよ」という趣旨を記載した「職場を明るくする会」発行名義のビラ二種類(同会第一、二報)を作成し、参加組合員ほか多数の者にこれを配布し、もつて前記参加組合の明星セメント誘致反対の決議ならびに一般運動方針にたいする反対を表明し、組合幹部と一般組合員との離間を画策した。

(2) 権利停止の手続

以上の事実が昭和三四年四月一八日前記調査委員会より参加組合中央委員会に報告されたので、同中央委員会は処罰委員会を設け、原告らの処分を審議させた。その結果、右同月二〇日処罰委員会は原告らの前記行為は参加組合の賞罰規定第一条第一、二号に該当するものと認め、処罰の種類については、とくに原告ら三名がいずれも執行委員の地位にあつたところから責任が重いものとして除名に処すべきであるとの意見が少なくなかつたが、原告らにも反省を促がす機会を与える必要があるとの見地から、原告らを右賞罰規定第三条にもとづきそれぞれ権利停止一年の処分に付し、原告らとともに訴外戸田軍平の傘下で明星セメント工場誘致の活動をした訴外松沢衛、上谷栄、加茂敏雄および松木正二郎をそれぞれ権利停止六カ月の処分に付するを相当とする旨の処罰案を決定し、それを同月二〇日に開かれた昭和三三年度第九回中央委員会に答申し、同中央委員会は即日さらに原告ら三名その他の被処分者の弁明をきいたうえで、右答申にかかる処罰案を審議した結果、満場一致をもつて右処罰案に賛成する旨を決議した。そこで参加組合は翌二一日原告ら三名その他の被処分者に右の処分を通知し、なお同人らにたいして爾後参加組合の方針に同調し、組合の団結に協力するよう要望した。

(ハ) 除名の事由

(1) しかるに、原告らは前記権利停止処分をうけたにもかかわらず、その事由となつた行為につきいささかも反省するところがなく、かえつて参加組合の右処分を非難攻撃するのみならず、前記のとおり参加組合の運動方針と相容れない訴外日本カーバイド工業株式会社、信越化学工業株式会社および昭和電工株式会社の各労働組合ならびにその上部団体である合成化学産業労働組合連合会(以下たんに「合化労連」という。)、総評あるいは地域労働組合の連絡機関に過ぎず、かつ左派労働組合の指導勢力下にある新潟県労働組合協議会(以下たんに「県労協」という。)などの力をたのみ、右の各組合および団体が原告らを支援すると称して配布したビラ、開催された諸大会、宣伝カーによる呼びかけなどを背景にして参加組合にたいし強力な非難攻撃を加えてきた。とくにそのうち原告らが主宰している「職場を明るくする会」名義のビラを取り上げてみても、「前記権利停止処分の事実認定が不当である」とか、原告らに十分弁明の機会を与えたにもかかわらず「処罰委員会は調査委員会報告を鵜呑みにし、原告らに弁明させなかつた」とか、参加組合の議事細則上何ら違法でないのに「中央委員会が挙手採決をもつて処分を決定したことは不当であり、民主的労働組合のやり方でない。」などときめつけ、原告らの参加組合にたいする公然たる反抗的行動は目にあまるものがあつた。

(2) 右のような原告らの態度に対処するため、後記のとおり再度処罰委員会が設置され、同委員会が中央委員会にたいし原告ら三名を除名処分に付するを相当と認める旨の答申がなされているときにあつても、原告らはしきりにビラなどによつて、「権利停止を受けたからといつて、ビラを配布してはいけないか」(原告らの言論の内容が問題なのだが)とか、現に中央委員会の報告書に記載されているにもかかわらず、「中央委員会はビラの内容のいずれの部分が統制違反なりとするのかを知らない」とか、「原告らは地区労の組合員であり、組合(参加組合の趣旨)で処分をうけても地区労で処分をうけていないのだから、地区労の支援要請は当然のことである」とか、あるいは「原告らにたいするこの懲戒処分をハネ返すことは電化組合員(参加組合員の趣旨)の幸福のためである」などと記載したビラを配布し、ますます激しく参加組合をひ謗しつづけた。

(ニ) 結語

参加組合が原告らを除名した事由は、これを要約するに、(1)原告らが数多くのビラを参加組合の組合員に配布して、明星セメント誘致反対の組合大会決議に反対し、これをひ謗し、かつ、(3)参加組合から権利停止の処分をうけるや事実をまげて調査委員会、処罰委員会および中央委員会をひ謗し、参加組合の運動方針と相容れない他団体の応援をたのんでビラ、集会、宣伝カーなどにより相ともに参加組合の右処罰決定を非難攻撃し、もつて著るしく組合の統制をみだした、ということにある。

(二) 除名の手続

(イ) 除名手続の経過

昭和三四年五月二六日開催された参加組合の定期大会において、前記(一)の(ハ)にあげたような原告らの態度に対処するため、再度原告らの処罰を考慮すべきであるとの提案があつたところ、右提案は満場一致をもつて可決され、同年六月二〇日開催の中央委員会は前記原告らの行為の調査およびその処罰について審議し、これを組合大会に付議するため処罰委員会を設置し、さきの処罰委員会におけると同じ者が再びその委員に指名された。その後、処罰委員会では事実調査をした結果、同年七月二五日中央委員会にたいして、「原告らが前回の処分を根拠のないものと主張し、参加組合と運動方針を異にする他団体の応援を得てともに参加組合をひ謗した事実」を確認し、右事実にもとづき原告ら三名を除名に付するを相当とすると答申した。昭和三四年度第五回中央委員会は、処罰委員会より右の答申をうけるや、ただちに原告らから事情を聴取し、慎重審議した結果、無記名投票により三六票対二票の多数をもつて右答申を承認し、ついで参加組合の組合規約第五七条、賞罰規程第二、四条、議事細則第一二条により同年七月二九日参加組合の臨時大会を開催し、原告らの弁明を聴いたうえ、出席代議員三〇三名の満場一致をもつて、原告らの除名を議決した。ついで規約第一一条の定めるところにより参加組合は右大会決議の可否を同年八月三日、同四日の両日にわたつて一般組合員の無記名投票に付したところ、有権者総数三、三八五名、総投票数三、二一六票のうち除名を可とする票数は、(イ)原告長沢については二、八二四票、(ロ)原告宮川については二、八三三票、(ハ)原告山本については二、八一一票であり、いずれも総投票数の八七%以上、有効投票数の四分の三以上をもつて前記組合大会の決議が可決されたので、参加組合は同年八月四日原告らにたいし同人らを除名する旨の通知をしたのである。

(ロ) 弁明権など

(1) 参加組合は、組合規約第五八条に定めるところにしたがつて、被処分者である原告らにたいし十分弁解の機会を与えたのであるが、つぎにこの点について詳述する。

組合規約第五八条所定の「一切の会合」がいかなる会合を意味するかは、同規約がその第五七条において組合員賞罰にかんする手続の規定を参加組合の賞罰規定にゆだねているところから該賞罰規定により解釈すべきところ、右賞罰規定によれば、組合員の処罰にかんして開かれる会合とは処罰委員会、中央委員会および組合大会(ただし除名についてのみ)であることが明記されているから、処罰機関ではない執行委員会、職場大会および職場委員会などは、たといそれが組合員の処罰にかんして開かれた会合であつても、前記組合規約第五八条に規定した「一切の会合」のなかには含まれない。まして職場大会などは山奥の発電所にいたるまで無数に散在する被告会社の各職場で、組合員が自発的に随時、開催するものであるから被処分者がいちいちこれに出席できるはずのものではない。また組合員の処罰にかんして開かれるものであつても、処罰の対象となつた事実の調査手続や調査方針の立案、処罰の合議などまですべて被処分者が出席し、それに立ち会うということになれば、調査の秘密などというものはとうてい保持できないのであるから、右の「一切の会合」も事柄の性質上当然制限されるものである。また右の「一切の会合に出席できる」という規定は、それらの会合の開催を被処分者にいちいち通知する義務を定めたものではなく、被処分者に会合の開催を秘匿することを禁じ、被処分者が該会合の開催を知ろうと欲すれば知りうる状態にしておくことを規定したものと解すべきである。さらに「弁明の機会を与える」ということも、程度の問題であつて、出席を許したけれども、いかなる発言も許さないということは妥当でないが、それだからといつて何時いかなる場所でも弁明のための発言を自由に許さなければならないということではない。この点については、「組合員は制裁処分に関し弁明の権利を有する旨の規約のあるとき賞罰委員会において弁明の機会が与えられなくとも、除名を決定すべき総会において弁明の機会が与えられたときは除名の手続に違法があるとはいえない。」と判示した広島高等裁判所岡山支部昭和二五年(ラ)第一三号昭和二八年四月三日決定(労働関係民事裁判例集第四巻第四号二七一頁)が参照されるべきである。結局、前記規定は被処分者の合理的根拠のある出席、弁明の申し出があれば合理的根拠なくしてこれを拒絶することはできないという趣旨を規定したものと解すべきである。

(ハ) 一般投票

原告らは、本件除名の可否について行なわれた一般組合員の無記名投票にあたり、投票立会人が投票者に除名賛成に投票するよう指示するなど投票者の意思を著るしく束縛して自由な意思表示をすることを妨げ、よつてその投票につき不当な強制ないし影響を与えたと主張するが、そのような事実はまつたく存しない。

(ニ) 結語

上記のとおり参加組合のした本件除名は実体上理由があり、かつ手続の面においても適式であるから、組合規約第一一条により一般組合員の無記名投票で原告らを除名に付するを相当とするという組合大会の決議が有効投票の四分の三以上をもつて可決され、参加組合からその旨の通知をうけた昭和三四年八月四日かぎり、原告らは同組合の組合員たる資格を失うにいたつたのである。

(三) 結論

被告会社は右除名により被告会社と参加組合との間の労働協約第一〇条に定めるいわゆるユニオン・シヨツプ条項にもとづき組合員たる資格を失なつた原告らを解雇したにすぎない。したがつて、被告会社が原告らにたいしてした本件解雇には何ら違法な点がないから、右解雇の意思表示をした昭和三四年八月八日かぎり原告らと被告会社間の雇傭契約は終了したものというべきであり、原告らの本件請求は失当である。

2  参加組合の抗弁

参加組合の抗弁は、前記1の(三)を除き、被告会社の抗弁と同一であるから、ここにこれを引用する。

四  抗弁にたいする答弁

1  除名の事由

(一) 除名の背景

前記、三の1の(一)の(イ)および三の2の事実のうち、青海町工場誘致促進期成同盟会の組織およびその活動、被告会社が明星セメントの進出に反対した理由は知らない。被告会社はもとよりその一従業員にいたるまで企業防衛の本能から一斉に明星セメント進出に反対する運動に立ち上つたとの点は争う。被告会社および参加組合(以下両者をたんに「被告会社ら」という。)主張の日時に参加組合がその主張のとおりの組合大会決議をしたことは認めるが、右決議にかんする緊急動議にたいする原告長沢、宮川の意見の内容は被告会社ら主張の趣旨とは異なる。その余の事実は認める。

(二) 権利停止

(イ) 権利停止の事由

(1) 前記三の1の(一)の(ロ)の(1)の(A)および三の2の事実のうち、被告会社らの主張のとおりの内容の革新同盟発行名義のビラがひろく参加組合の組合員に郵送されたことは認めるが、その枚数は知らない。被告会社ら主張の日時にその主張のような目的で、参加組合が執行委員会、中央委員会を開催し、調査委員会を設置し、調査活動が開始された結果、ビラ第二報の印刷所および注文者が判明したことは認める。なお、右印刷所および注文者を最初につきとめたのは原告山本などであつた。原告長沢が訴外戸田軍平と交際のあつたことは認めるが、右交際は革新同盟のビラが配布される前からあつたものであつて、とくにその頃頻繁に往復した事実および明星問題にかんして交際した事実はない。

(2) 前同(B)および三の2の事実のうち、原告宮川にかんする部分は否認する。原告宮川は昭和三三年一一月二五日頃定期大会議事録を組合書記の承認をえたうえ、右大会における自己の発言内容の記載を点検するため閲覧したことはあるが、組合事務所外に持ち出したことはない。原告宮川以外の者が会合したかどうかは知らない。

(3) 前同(C)および三の2の事実のうち、被告会社ら主張の日時場所において、原告長沢、宮川が会合に出席したことは認めるが、右会合が訴外戸田軍平の招集したものであることおよび右会合の趣旨については否認する。右会合は、要するに、被告会社内での職場を明るくするにはどうしたらよいかという問題を検討したにすぎず、工場誘致反対運動を挫折させるための具体的運動などを討議したことはない。

(4) 前同(D)および三の2の事実のうち、原告らが被告会社ら主張の日時場所において会合したことは認めるが、右会社は革新同盟と何ら関係のないものであるから、会合の趣旨は否認する。右会合ではそこに集まつた人達によつて、「職場を明るくする会」がつくられ、たんに被告会社内での職場を明るくするための情報しゆう集を行なうことが定められただけであつて、革新同盟と何のつながりもない。

(5) 前同(E)および三の2の事実のうち、参加組合が被告会社ら主張の日時に、その主張のような内容の運動方針を決議したかどうかは知らない。原告らが被告会社ら主張の頃、職場を明るくする会発行名義のビラを作成配布したことは認めるが、右ビラの内容は組合決議である明星セメント誘致反対を非難したものではなく、その第一報は地方選挙における選挙運動の方法を批判したものであり、第二報は工場誘致反対ならびに地方選挙運動の具体的方法に不明朗な点があることを指摘したにすぎない。

(ロ) 権利停止の手続

前記、三の1の(一)の(ロ)の(2)および三の2の事実のうち、原告ら三名を除名に付すべしとの意見が強かつたこと、原告らにたいする処罰を通知する際、爾後参加組合の方針に同調し、団結に協力することを要望したことは否認する。被告会社らは中央委員会が被処分者の意見を聞いたというが、被処分者としての原告らの意見は聞いていないし、また原告ら以外の被処分者の意見も聞いていない。その余の事実は認める。

(三) 除名の事由

(イ) 前記、三の1の(一)の(ハ)および三の2の事実のうち、原告らが権利停止処分にたいし批評をしたこと(もつとも被告会社のいう非難攻撃はあたらない)、訴外昭和電工株式会社労働組合を除く、その余の労働組合が原告らを支援したことは認めるが、これは参加組合の権利停止処分が前記革新同盟と職場を明るくする会が同一であるとし、事実を曲げてした不当な処分であつたからであり、また原告らの発行したビラは啓蒙宣伝文書であつて、職場を明るくする会の趣旨につき誤解のないようにすることを主眼とするものであつた。

(ロ) 本件除名は、組合規約所定の除名事由が存在しないのに、除名事由があるとしたものであり、組合規約に違反し無効である。

(1) 本件除名の事由はこれを大別すると二つに分かれる。その第一は原告らが数多くのビラを参加組合員に配布して、組合大会の決定たる明星セメント誘致反対に反対し、大会決議をひ謗し、その第二は原告らが参加組合から権利停止の処分をうけるや、事実を曲げて調査委員会、処罰委員会、および中央委員会をひ謗し、参加組合の決定する運動方針と相容れない他団体の応援をたのんで、ビラ、集会、宣伝カーなどにより相ともに参加組合の右処分決定を非難攻撃し、もつて著るしく組合の統制を乱した、というのである。右のうち第一の事実は、第一次処分たる権利停止の事由となつた革新同盟のビラおよび職場を明るくする会のビラの配布ならびに各種の会合を開くことによつて、昭和三三年五月二八日に行なわれた参加組合の大会決議である明星セメント誘致反対と同三四年五月二六日の決議である全労加盟指向に反対し、組合と組合員の離間を企てたことをさし、第二の事実は右第一次処分たる権利停止後の原告らの行動をさすものと解される。そして、本件除名の事由のうち、第二の事実は第一の事実の存在を前提とし、第一の事実にもとづく権利停止の処分が正当に行なわれたものであることを前提としているものである。このことは、処罰委員会答申書(丙第六号証の四)第九項処罰の判定(1)において、「四月二〇日以降も明星資本の援助を受け云々」と記載してあることからみても明らかである。しかしながら、第一次処分の理由そのものがすでに明白な矛盾を含んでいる。すなわち、原告らが権利停止の処分を受けたのは昭和三四年四月二一日であり、右の処分対象になつた行動はすべて昭和三四年四月三日以前の行動であるのに、その行動がその後の組合大会の決定である同年五月二六日の大会決定に違反しているとし、該違反を右の権利停止処分の事由とすることは、いわゆる事後法によつて処罰したことになるばかりでなく、右大会決議のあつた昭和三四年五月二六日にはすでに第一次処分たる右権利停止処分が行なわれていたのであるから、かかる主張自体が背理である。また原告らは、主として明星セメント問題、地方選挙問題をめぐつて被告会社の従業員、参加組合の組合員の行動が極度に制限され、そのために職場が暗くなることをうれえ、もつぱら職場を明るくする目的のもとに会合し、職場を明るくする会のビラ(丙第三号証の一、二)を配布したものであり、革新同盟なるものとは全く関係なく、しかもそのビラ(丙第二号証の一、二)の配布についてもまつたく関知することがなく、明星セメント誘致派と協力した事実もない。かえつて、原告らは大会決議の実行については忠実に協力してきたものであつて、昭和三三年五月二八日の大会決議に違反したことはなく、組合の統制に違反した事実はない。したがつて、権利停止それ自体がすでに理由がなく無効なものであるばかりでなく、右の処分を前提として行なわれた本件除名もまた無効である。

(2) 被告会社らの主張する本件除名の事由は、前記第一、二の事実であるが、昭和三四年七月二五日参加組合の処罰委員会答申書第九項によると、つぎの事実が除名の事由としてあげられていた。

(A) 昭和三四年四月二〇日以降も明星資本の援助を受け、職場を明るくする会のビラを三回も配布し、参加組合の機関と役員にたいし批判とひ謗を加え、また左翼分子と結託し、権利闘争を守る会のビラを数回配布し、組合の分裂を策動した。

(B) 組合の処分にたいして不服のある場合は地方労働委員会(以下たんに「地労委」という。)に提訴できる旨の規約があるにもかかわらず、その救済の道をとらず、直接外部団体にたいし一方的な情報を送り、支援を要請し、ビラなどによつて不当な圧力を加え、組合の分断を図る行為を誘発した。

(C) 地区労にたいし処分撤回闘争の申し入れを行なつた。

しかしながら、原告らが明星資本の援助を受けたことがないのは前記のとおりであつて、このことは四月二〇日以降においても変りはない。権利闘争を守る会と原告らとは何の関係もなく、またそのビラも原告らの関知するところではない。また原告らが四月二〇日以降職場を明るくする会のビラを配布したのは、不当処分をうけたことを組合員に訴えるためであり、つぎに述べるように他に救済の手段のなかつたことを考慮しても当然のことである。

組合の統制処分に不服があるときは地労委に提訴できる旨の組合規約第五八条は、現行法上これを実行することのできない空文であることは明らかであり、参加組合においてもこのことは知つていたはずである。したがつて、実行することのできない提訴を行なわずに、他に救済の方法をもとめたことを理由として除名することができないのはいうまでもない。もつとも、被告会社らは本件除名の事由として、原告らが「組合の決定する運動方針と相容れない他団体の応援をたのんだ」ことをあげているが、このことは処罰委員会の答申に含まれていないばかりでなく、原告らが支援要請をした地区労には参加組合もその構成団体として加入していたのであつて、両者は相容れないものではない。また原告らの要請をまたず、原告らを支援した合化労連も参加組合が従来から友好関係にあり、その大会あるいはその他の会議には参加組合より傍聴人を送るなどさまざまな連けいをもつていたものである。のみならず、特定の事項について相対立している場合と異なり、不当な権利停止の処分をうけたという場合に、その救済のための支援をひろく一般労働組合に要請することは、それによつて不当に組合の利益を侵害することを目的としないかぎり当然のことであり、これをもつて除名の理由とすることはできない。また地区労の構成が団体加入であつても、そのことは労働者が個人として地区労に支援協力を要請することを妨げるものでないことはいうまでもなく、このことは権利停止の処分の有無にはかかわりはない。

以上述べたところによつて明らかなように、権利停止の処分の当、不当にかかわらず、該処分後における原告らの行為を理由として行なわれた本件除名は無効である。

(ハ) 仮に原告らの行為が何らかの点で組合の統制に違反するところがあるとしても、本件除名は懲戒における量刑を誤つたものである。すなわち、本件除名が行なわれた当時における被告会社らの従業員にたいする態度、調査委員会、処罰委員会および中央委員会などにおける審議審査の実情、救済規定の不備その他を考えあわせると、原告らの行為は無理からぬところがあり、かつその審議審査の経過および後記のとおり突然に行なわれた規約改正などをも考慮すると、明らかに懲戒における量刑を誤つたものというべきであり、したがつて本件除名は無効である。

2  除名の手続

(一) 前記、三の1の(二)の(イ)および三の2の事実のうち、被告会社ら主張の中央委員会および臨時大会で原告らに弁明の機会のあつたことならびにその主張の日に原告らが参加組合より除名の通告をうけたことは認めるが、その余の事実は知らない。

(二) 本件除名は組合規約所定の手続に違反して行なわれたものであるから無効である。

(イ) 弁明権など

組合員を除名することは、組合員たる資格を奪う重大な処分であるから、被処分者にその事由を充分明示し、弁明の機会を与え、慎重に行なうべきものであることは当然であり、組合規約第五八条にも「組合員で懲罰を受ける者は自分に関して開かれる一切の会合に出席ができる。」と定めている。ここにいう出席とは、たんに形式的に出席する機会を与えられるばかりでなく、事案を充分に理解し弁明する機会を与えられることをも含むものというべきである。しかるに、本件において参加組合が原告らにたいし懲戒処分を行なうに際しての経過はつぎのとおりであつて、右規定の趣旨が守られなかつた。

(1) 第一次懲戒処分である権利停止処分を行なうにあたつて、参加組合は原告らにたいしその被疑事実をまつたく通知せず、昭和三四年四月一八日の中央委員会の席上で、突然、調査委員会報告書なる形式をもつて原告らにたいする被疑事実を提出し、即時質疑に入り原告らが弁明をする準備をまつたく与えず、しかも右中央委員会において質疑討論が行なわれたことを理由に原告らにたいし何らの通知を行なわず、昭和三四年四月一九日、同二〇日の両日にわたつて処罰委員会を開催し、原告らの出席を拒否し弁明の機会を奪つたまま、処罰委員会答申書を作成し、これを同年四月二〇日の中央委員会に議題として提出し、さらに原告らの要請にもかかわらず、充分な弁護の手段と機会を与えないままで原告らにたいする権利停止の処分を決定した。

(A) 権利停止の処分が決定された後、参加組合は昭和三四年五月二六日の組合大会において、組合規約を改正し、賞罰規定における権利停止処分の最長期間一年の制限を削除して(旧規約、甲第一四号証の二、第四条)、期間の制限を無くし(新規約、丙第一号証の三)、除名処分にかんする規定を改正して(旧規約、甲第一四号証の一、第一一条)、それまで全組合員の四分の三の賛成を要したものを有効投票数の四分の三をもつて足りることとし(新規約、丙第一号証の一、第一一条)、原告らにたいする第二次処分を準備した。

(B) 参加組合は、昭和三四年六月二〇日の中央委員会において第一次処分たる権利停止に付せられた後における原告らの行動を処罰の対象とするため処罰委員会を設置し、原告らに出席、弁明の機会を与えないままに報告書を作成して同年七月二〇日の中央委員会に提出し、さらに同年七月二五日の中央委員会に処罰委員会答申書を提出し、同年七月二九日の組合大会において除名を決定して一般投票に付したのである。

以上のように、参加組合は原告らにたいし、権利停止の処分をするに際しては、「原告らにたいして開かれる一切の会合」である調査委員会および処罰委員会ならびに原告らの処罰にかんして開かれた職場大会、職場委員会、職場説明会にたいする出席、弁明の機会を与えず、また中央委員会においては被処分者として弁明させずに権利停止の処分を決定したものであつて、右の処分そのものが無効であるばかりでなく、右の処分の存在を前提とした本件除名もまた無効である。さらに本件除名も前記のとおり処罰委員会および本件除名について開かれた職場大会、職場委員会、職場説明会には出席し、弁明する機会を与えられず、結局、原告らの処分にかんして開かれる一切の会合にたいする出席、弁明の機会を与えずに行なわれたものであるから無効である。

(2) 一般投票

本件除名は昭和三四年八月三日、同四日の両日にわたつて行なわれた組合員の一般無記名投票によつて決定されたものであるが、右無記名投票は以下の理由により無効であり、したがつて本件除名も無効である。

(A) 参加組合は、前記のとおりあらかじめ組合規約を改正して、原告らにたいする除名を準備し、地区労のあつせんにたいしても面従腹背の態度でこれを無視し、昭和三四年七月二九日の組合大会において原告らの除名を決定し、一般投票にあたつては、これまで開催されたことの稀な職場集会を開催して、調査委員会報告および処罰委員会報告にも記載されていないところの、原告らが明星セメント派より多大の金員を収受したとの虚偽の事実を宣伝し、組合員らに除名の必要であることを誤信させ、もしくは除名に賛成投票すべきことを強制した(昭和三四年七月二九日大会議事録、末尾の貼紙訂正の部分参照)。

(B) また右投票にあたつては、とくに原告らが公正な投票方法を要請したにもかかわらず、各職場毎に狭隘な場所で行ない、投票記載内容を知り得るような至近距離に係長ら職場の上司(非組合員もしくは組合員であつても職制上の上位にある者)が監視し、投票者に除名に賛成するよう耳うちし、除名反対を記入するとそれは間違いではないかと詰問して除名賛成に書きかえるよう要請し、あるいは投票立会人が容易に投票記載内容を監視しうる状態のもとにおいて投票させ、かつ同立会人が除名賛成に投票すべきことを指示したり、開票後どの職場でどの位の除名反対者がいるかを知るため各職場ごとに違えて投票用紙の折り方を指示したり、もしくは一部の者に投票とひきかえに映画の観覧券を交付したりなどし、もつて投票者の意思を著るしく束縛して自由な意思表示ができないようにして投票者に不当な強制ないし影響を与えた。

右のような不当な強制ないし影響のもとに行なわれた投票は、組合の正当な意思決定ということができず、かかる投票によつて行なわれた本件除名決定は無効である。

3  結論

本件解雇は、被告会社と参加組合との間の労働協約第一〇条のいわゆるユニオン・シヨツプ条項にもとづくものであり、右条項にもとづく解雇は組合の除名が有効であることを前提とする。しかるに、上述のとおり本件除名はいずれの点からみてもまつたく無効であり、原告らは参加組合の組合員たる地位を有するものであるから、右除名にもとづいてされた本件解雇もまた無効であり、原告らと被告会社との間の雇傭契約は現在もなお引き続き継続しているのである。

五  抗弁にたいする答弁についての反論

原告が抗弁にたいする答弁として述べた事情のうち、とくに本件除名の事由および手続について被告会社らはつぎのとおり反論する。

1  除名の事由(前記、四の1の(三)の(ロ)および(ハ)参照)

(一) 原告らは、参加組合は権利停止があつた後に行なわれた参加組合の全労指向決議に違反したことを右処分の事由としていると主張し、右権利停止の処分はいわゆる事後法にもとづいて行なわれた違法なものであり、したがつて右の処分を前提とする本件除名は無効であると主張するようであるが、これは原告らの曲解である。

参加組合は前記のとおり第一次処分後の昭和三四年五月二六日に全労加盟を指向する決議をしたのであるが、それよりはるか以前においても、近くそのような決議をするにいたるべき一般的情勢にあつた。また少なくとも、参加組合が総評の加盟組合でないのはもちろん、これに加盟の可能性もなく、かえつて一般運動方針上これと傾向を異にする関係にあつたことを記述したにすぎず、原告らの行為が直接右五月二六日の大会決定に違反することを主張しているものではない。しかるに、原告らは権利停止の処分をうける事由となつたビラを配布して(前記三の1の(一)の(ロ)の(1)の(E)参照)参加組合の統制を乱し、さらに右大会決議後も引きつづいて前記のとおり参加組合とは一般運動方針を異にし、かつ何らの系列関係もない合化労連や、その他の外部団体に支援をもとめて、その圧力により参加組合の前記権利停止の処分を撤回させようと図つたのである。これら一連の行為こそ、全労加盟指向を決定した右大会決議の趣旨に違反するものといわなければならない。

(二) 原告らは、権利停止の処分をうけた後の昭和三四年四月二〇日以降職場を明るくする会のビラを配布したのは、不当処分をうけたことを組合員に訴えるためであり、他に救済手段のなかつたことを考慮して当然であると主張する。

しかしながら、権利停止の処分をうけた組合員がビラを配布して何事かを他の組合員に訴える行為自体は許されるとしても、その内容が問題であつて、たとえば組合にたいし相当な理由を付して、さきに行なわれた処分決定につき取り消しをもとめるため再審査を申し立てるなどの方法をとるならばともかく、組合をひ謗し、法規上許される以外の方法、手段、すなわち何ら系列関係のない外部団体の圧力によつて、組合のした処分決定の撤回をもとめて、その処分に服さない旨を表示することは明らかに統制違反行為に該当する。この場合、参加組合規約に規定されていた地労委えの提訴が法律上許されない救済制度であつたとしても、もともとかかる救済制度は他の労働組合においてもおよそ類を見ない、いわば屋上屋を架す蛇足にすぎないから、右規約の規定をたてにとつて参加組合の処罰手続が丁重を欠く不備なものであると非難することはできないし、まして右規定の不備を理由として、ビラを配布して組合をひ謗したり、その他前記のように外部団体の圧力をもとめるなどということは許されるべきものではない。

(三) 労働者が個人として外部団体の支援要請をすることは任意であろうが、その要請する支援の方法いかんが問題である。原告らが支援要請をした地区労なる組織は、一定地域内の労働組合の連絡提携機関であつて、構成組合との間に命令関係は全く存在せず、したがつて構成組合の内政に干渉する権限もなく、まして本来組合の自治にまかせられている組合員の加入ないし排除(除名)について参加組合に干渉するなどということは全く地区労本来の目的を逸脱しているものである。しかも、地区労はその傘下組合の大多数が総評に加盟しているので、総評の意のままに運営駆使されており、総評は合化労連という巨大な組織にまたがつており、合化労連は前記明星セメント設立の主体となつた訴外日本カーバイド工業株式会社、信越化学工業株式会社および昭和電工株式会社の労働組合を支柱としている関係から右三訴外会社の意を受けた同会社労働組合らが明星セメント工場設立の問題につきそれぞれの会社の意を受けて労資一体となり、合化労連、総評、地区労へと順次異常な圧力をかけ、地区労を明星セメント誘致の方向に動かしているのであるから、かかる団体に支援をもとめることは前記組合の統制に反することになるのである。

(四) 原告らは、本件除名が苛酷に失すると主張するが、その主張はそれ自体むじゆんも甚はだしい。参加組合の主張する除名の事由が真実であるならば、該統制違反行為はこの種の事案のなかで、もつとも悪質なものであつて、これを除名にすることが苛酷だとすれば、いかなる場合にも除名することができないという結論に達するほかはない。この点については名古屋地方裁判所昭和二四年(ワ)第五六一号昭和二六年九月二九日判決(労働関係民事裁判例集第二巻第五号五三頁)が参照されるべきである。右判例と本件除名とを比較してみると、原告らが組合執行委員であつたこと、その統制違反行為が長期にわたつて反覆されたこと、組合にたいするそのひ謗と反抗の程度、その圧力をたのんだ外部団体が参加組合と一般的運動方針を異にし、かつ右団体の範囲が広汎であること、参加組合の再三再四の警告にもかかわらず前記統制違反行為をあらためなかつたそのしつようさなどあわせ考えれば、むしろ本件除名は遅きに失したとの非難はあつても、断じて重きにすぎると非難されるいわれはない。

2  除名の手続(前記、四の2の(一)参照)

(一) 弁明権など

(イ) 原告らは、権利停止を行なうにあたつて、参加組合は原告らにたいし被疑事実をまつたく通知せず、昭和三四年四月一八日に開かれた中央委員会の席上において、突然、調査委員会報告書なる形式をもつて原告らにたいする被疑事実を提出し、即時質疑にはいつて原告らが弁明する準備をまつたく与えなかつた、と主張する。

しかしながら、右にあげるような通知義務は規約上定められていないし、その必要もないのであるが、しいていえば、前記の被処分者にたいする会合の通知と同じく被処分者にいかなる事実が懲戒処分の対象になつているかを秘匿してはならないという程度のことが要求されているとしか解釈できない。仮に右要求により、何らかの機会に被処分者にたいし被疑事実を通知することが必要であつたとしても、その時期は処罰委員会(もしくは調査委員会)、中央委員会、組合大会などに出席する際に通知すれば足り、何人を処罰の対象とするのかはつきりしない段階においてまでこれを通知するなどということは不可能であり、またその必要もない。権利停止の処分に付する手続においては、前記調査委員会報告によつて始めて被疑事実が公式に表われてくるのであつて、それ以前においては組合員のなかに革新同盟のメンバーや明星セメント誘致派の運動者があるか否かの調査をしているにすぎない。したがつて、理論上は調査委員会報告の前には被疑事実なるものがあつても、被疑者が定まつていないのであるから、これを通知する対象がないわけである。調査委員会の中央委員会にたいする報告があつて、中央委員会がその報告を審査し、処罰事件をとりあげることを決議した後、はじめて被疑者と被疑事実とが定まるものであるから、参加組合が調査委員会報告書を昭和三四年四月一八日の中央委員会の席上で突然原告らに交付し、被疑事実を通知したことは、時機を失せず遅滞なく右通知がなされたことを示すものであつて、賞讃こそすれ、非難をうけるべき理由はない。

(ロ) 原告らは、組合規約第五八条所定の「一切の会合に出席できる」ということは、事案を充分理解し弁明する機会を与えられることを含むということを前提として、昭和三四年四月一八日の中央委員会において弁明の準備を与えなかつたと主張する。しかしながら、原告らは調査委員会において十分弁明の機会を与えられており、かつ弁明していることは議事録によつて明らかである。そのうえに、原告らは中央委員会にその構成員として当然出席して発言できる地位にあつたのであるから、今さら弁明の準備を与えられなかつたなどという主張は失当である。

さらに原告らは、参加組合は昭和三四年四月一九日、同二〇日の二日、処罰委員会を開催したが、その際原告らの出席を拒否して弁明の機会を奪つた、と主張するが、権利停止の対象となつた被疑事実は調査委員会において長期間にわたり、すでに十分な実情調査をしているので、これ以上処罰委員会で同じことをくりかえす愚をさけたのであり、調査委員会の調査報告にしたがつてその調査結果を審査し、翌四月二〇日処罰にかんする結論を出し、処罰委員会答申書を中央委員会に提出したのであり、処罰委員会の審査の段階では原告らの弁明をあらためて聞く必要はなかつたため原告らを喚問せず、したがつて原告らに右処罰委員会開催の通知をしなかつたのであるが、原告らの出席を拒否したことはなかつたし、また処罰委員会答申書の提出された中央委員会には、原告らを出席させるよう手配しているのであるから、前記三の1の(二)の(ロ)の観点からするならば、原告らにたいする通知は右の程度で必要かつ十分なものといわなければならない。

そのほかに原告らは、昭和三四年六月二二日より同年七月二五日まで前後一四回にわたつて開催されたいわゆる第二次処罰委員会において、原告らに出席、弁明の機会を与えなかつた、と主張するが、原告らが右処罰委員会において十分弁解の機会が与えられ、かつ弁明していることは議事録により明らかである。

(ハ) 原告らの主張する、中央委員会において充分な弁護の手段と機会を与えない、との意味が原告らが弁護人を選任することを意味するならば、参加組合は組合員にたいしてそのような権利を与えていないと断言する。それにもかかわらず実際問題として、弁護人を組合員の中から選任するのであればこれを許すことに決定したのであるが、原告らは当初猪俣浩三代議士を弁護人とするとか、あるいは組合員から選ぶとしても三、六〇〇人の中から選ぶのであるから二、三日延期せよなどと非常識極まる言辞を弄していたので、原告らの申し出を拒否したのである。

(ニ) なお原告らは、原告らにたいする第一次処分後、参加組合が組合規約を改正したことをさして、参加組合はあらかじめ組合規約を改正して、原告らにたいする除名処分を準備した、と主張するがそのような事実はまつたくない。参加組合は右第一次処分の経験によつて、組合員の処罰が一年の権利停止のうえは除名ということではその懸隔が余りに甚はだしいということを痛感したほか、除名投票についても結果的には棄権者が票決に加わることになるので、その不合理を改正したにすぎない。

(二) 一般投票

原告らは、本件除名の可否について行なわれた一般組合員の無記名投票につき、投票者に不当な強制ないし影響をおよぼすような事実があつたと主張するが、そのような事実はまつたくない。原告らが明星セメント誘致派より多大の金員を収受したとの虚偽の事実を宣伝したこともないし、このことをもつて組合員に除名に賛成すべきことを強制したこともない。仮に参加組合の出したビラに、「地労委提訴もせず云々」というごとく若干の虚偽事実があつたとしても、法的にはそれが本件処分の効力にいかなる影響もおよぼすものではない。

原告らは、投票内容の監視しうる状態で投票を行つたと主張するが、主張自体抽象的であつて、具体的にはどのような状態を意味するものであるか不明であるが、投票人が他人にその記入内容を知られないような位置で投票用紙に記入する自由があつたことは、原告ら側の証人の大多数が認めているところである。投票は棄権を防止するために作業現場の休憩所(セメント部のように作業現場の休憩所が分散しているところでは事務所の玄関脇で行なわれた)、貸工に出ている職区ではその貸工先の職場で投票させ、また投票用紙にしても、他事記載になるのを防止するために前例にしたがつて用紙の折り方を注意したことはあるが、投票人に除名賛成に投票するよう指示したことはない。電炉精品事務所において製袋係よりきた貸工に投票のさい映画の入場券を配布したことはあるが、この入場券は参加組合とは無関係に、右製袋係の工員全部に配布されたもので買収の問題が生じようもないし、これによつて投票人に不当な影響を与えたこともない。

六  再抗弁

1  懲戒権の濫用

参加組合のした本件除名は、原告らを処罰することのみを目的としたものであつて、懲戒権の濫用というべきである。したがつて、本件除名は無効である。

2  不当労働行為

本件除名は被告会社の原告らを解雇するための表面的な事由にすぎず、解雇の実質的な事由は被告会社が組合活動家である原告らをその企業から排除する意思で参加組合に働きかけて原告らを除名させたうえ、前記ユニオン・シヨツプ条項に名をかりて原告らを解雇したものである。したがつて、被告会社の本件解雇は不当労働行為であるため無効である。

七  再抗弁にたいする答弁

被告会社が原告らを解雇したのは、原告らが参加組合の組合員たる資格を失つたので、前記労働協約第一〇条の規定にしたがつてその意思表示をしたにすぎない。右条項にもとづいて原告ら従業員を解雇したのは当然のことであつて、たとい原告らが組合活動家であつたとしても、右解雇が不当労働行為を構成するいわれはない。

第三当事者双方の証拠関係および職権で行なつた証拠調〈省略〉

理由

第一当事者間に争いのない前提事実

被告会社は東京都千代田区有楽町一丁目一〇番地に本店を置き、新潟県西頸城郡青海町その他に工場を設け、セメントの製造販売などを業とする株式会社である。その従業員の数は約六、〇〇〇名であるが、そのうち青海工場に勤務する従業員数は約三、六〇〇名であり、その従業員のうち約三、四〇〇名が同工場唯一の労働組合たる参加組合を組織しているが、そのほか被告会社の他の工場および事業場単位でそれぞれ労働組合が組織されており、それらの労働組合が連合して電気化学労働組合連合会を組織している。原告長沢吾作は昭和二一年一二月一一日、原告宮川久昭は同二三年五月一一日、原告山本は同年同月一日にそれぞれ被告会社との間に同会社を傭主とする期限の定めのない雇傭契約を締結し、その従業員として青海工場において勤務し、参加組合の組合員となり同三三年五月以降は同組合の執行委員の地位にあつた。しかるところ参加組合は、昭和三四年八月四日、原告らにたいして、原告らが組合の規約に違反し、組合の統制を乱したものであるとして、参加組合の組合規約第四九条、第五〇条にもとづき除名する旨の通告をし、被告会社は同会社と参加組合との間に締結された労働協約第一〇条の「会社は組合から除名された者を解雇する。但し、会社が不当と認めた者はこの限りでない。」とするいわゆるユニオン・シヨツプ条項により原告らが参加組合から除名されたことを理由として、昭和三四年八月八日付けをもつて原告らを解雇する旨の意思表示をし、同日以後は原告らをその従業員として取り扱わず、賃金の支払いを拒絶し、前記雇傭契約が引きつづき存在することを否認している。

第二除名の事由(抗弁1の(一)および2の事実について)

原告らは、本件除名は実体上の理由がなく、かつ手続の点においても組合規約に違反する重大な瑕疵があるため無効であり、ユニオン・シヨツプ条項にもとづく解雇は組合の除名の有効であることを前提とするものであるから、被告会社が本件除名にもとづいてした前記解雇の意思表示もまた当然無効であると主張し、被告会社らはこれを抗争するので、以下において、被告会社らの主張する除名事由の存否およびその事由が前記組合規定所定の除名の事由に該当するか否かにつきまず判断する。

一  除名の背景(同1の(一)の(イ)および2の事実について)

1  成立に争いのない甲第六号証(とくにそのうち九頁以下)、第一六号証の一および三、第一七号証の一ないし四および九、第一八号証の一ないし三、丙第二七号証の二ないし四、第三一号証の一ないし八、第三八号証の二ないし四、証人関平作の証言により真正に成立したものと認められる丙第二八号証の一、二、証人小川金明、青代勘一郎、松木正二郎、松沢衛、加藤廉次郎、戸田軍平、伊藤善光、斉藤綾雄、三浦正一、加茂敏雄、小野清一郎、小野正毅、中村信吉、池田幾郎、塩田新市、関平作の各証言ならびに原告長沢吾作(第一、二回)、宮川久昭(第一、二回)、山本善一の各本人尋問の結果を総合すると、つぎの事実が認められる。すなわち、

青海町はもともと一方を日本海に、三方を山に囲まれた平地部の少ない一寒村であつたが、同町の背後には全山が良質の石灰石からなり、その埋蔵量約五〇〇億トンと称される海抜一、二二二メートルの黒姫山がそびえ立つていたので、早くからこの石灰石の開発を目的とする工場誘致運動が盛んに行なわれていた。被告会社は、大正一〇年当時住民約三、八〇〇名の青海村に青海工場を建設し、爾来黒姫山の石灰石を原料とするカーバイド、石灰窒素、セメントなどの製造工場として年々拡張発展を続けてきたが、昭和三〇年頃から従来の化学肥料工業偏重の経営方針より塩化ビニール、メラミンなどの有機合成化学製品製造工業にも進出することを計画し、長期総合計画にもとづき青海町の田海、寺地、高畑の三地区に三〇万坪の工場用地を買収することとし、その第一次計画として昭和三二年四月頃までに田海地区で用地として農地約一〇万坪を買収し、同地区に酢酸ビニール、ポパール、塩化ビニールなどの各製造工場を新設し、昭和三三、四年中にセメントキルンを二基増設することを計画し、昭和三三年中に右有機合成化学工場の一部の建設とセメントキルン一基の増設を完了した。右青海工場の発展とともに青海村も次第に発展し、昭和二九年頃、近郊の須沢、市振、玉ノ木などの各村を合併し、昭和三三年頃には人口約一七、〇〇〇人をようする青海町となつたが、同町の人口の約七割は青海工場の従業員およびその縁故者でしめられ、同町の予算の二分の一以上が青海工場の固定資産税などでまかなわれ、青海町長は昭和二二年頃より引き続きもと被告会社従業員の柳沢新太郎がその地位にあり、昭和三四年四月の地方選挙前は町議会議員定員二六名のうち青海工場の従業員が七名をしめ、右選挙後は町長柳沢新太郎ほか青海工場の従業員一四名が町議会議員となつた。しかるに訴外日本カーバイド工業株式会社、信越化学工業株式会社および昭和電工株式会社の三社は右黒姫山の石灰石に着眼し、被告会社の諒解のもとに石灰石採取の目的のため共同事業として昭和三二年頃に訴外日本石灰石開発株式会社を設立し、ついで石灰石採取の際に生ずる砕石を利用してセメントを製造する目的で翌三三年明星セメントを設立し、セメント工場建設のため被告会社が買収し、有機合成化学工場の建設を予定していた寺地地区に約六万坪の農地買収を計画した。ところで、青海町には町内に工場を新設あるいは増設を行なう会社にたいし一定の施設的便宜または奨励金を供与する旨の青海町工場誘致条例があり、前記被告会社田海新工場の建設にあたつては、右条例にもとづいて設置された新町建設委員会および町当局が工場用地買収の交渉にあたり、青海町から土地買収助成金として坪当り四〇〇円の割合による奨励金が供与されることになつていたので、昭和三三年三月頃訴外昭和電工株式会社および日本カーバイド工業株式会社は被告会社に明星セメントのセメント工場建設を申し出るとともに、青海町長にたいし新工場建設につき右条例の適用方をもとめたところ、これを聞知した被告会社は田海地区に明星セメントの新工場が建設されることになると、(イ)被告会社の前記経営規模の拡大強化、有機合成化学に転換することによる企業体質の改善という長期経営計画の実現が工場用地獲得の面で著るしく妨害されること、(ロ)明星セメントの工場用地は被告会社が現に建設中の塩化ビニール製造工場(田海工場)から八〇〇メートル位しか離れておらず、右有機合成化学工場はその性質上塵埃を絶対にさけなければならないので、このように近接した場所に粉塵を生ずるセメント工場を建設することは右田海工場の操業にきわめて重大な支障をきたすこと、(ハ)青海町内に青海工場と同じセメントを生産する工場が建設されることになると、すでに輸送能力の点で限界に達している国鉄北陸線の貨車輸送は、新セメント工場の出現による出荷の急増により麻ひ状態におちいるおそれがあること、(ニ)現在セメント工業界は過当競争の状態にあるから、同じ青海町内に新たなセメント工場が建設されるときは、その販路である近距離消費地において一層激烈な販売競争が行なわれることになり共倒れの危険をまねくこと、などという理由をあげ企業防衛の立場から明星セメント進出にたいしては絶対に反対するとの態度を明らかにし、町当局もまた被告会社に同調して明星セメントに工場誘致条例を適用することを拒んだ。そこで前記日本カーバイド工業株式会社ほか二社は前記被告会社の明星セメント進出反対の理由にたいして、(イ)の工場用地の点につき、青海工場の糸魚川市寄りにはなお五〇万坪程度の土地が残されているから、明星セメントが寺地地区に六万坪の工場用地を買収したとしても、被告会社が用地獲得の面で不利益を受けることはない、また明星セメントの工場建設予定地には日本石灰石開発株式会社の専用引込線があるため、右予定地はもともと被告会社の工場用地には不適当な場所である。(ロ)の粉塵の点につき、明星セメントはセメント製造方法について完全湿式をとりコツトレル(収塵装置)を設ける予定なので田海工場が明星セメント工場の粉塵でなやまされることはない、(ハ)の輸送の点につき、国鉄金沢鉄道管理局長は「昭和三六年までに予算二五〇億円で北陸線を復線化する予定である。青海駅構内は二億円ないし三億円の予算で改装し、一日貨車八〇〇輛の操車ができるように設計中であるから、輸送面には支障を生じさせない。」旨言明しているのであるから被告会社の反対は理由がない、(ニ)の過当競争の点につき、セメントは青海町ないし糸魚川方面にのみ売り出されるものではなく、日本全国を顧客とし、海外へも輸出されるものであり、かつ通商産業省では「セメントの需要は年々五%位増加していくから、一年に約八〇万トンの増産をしなければならない。」旨発表しているのであるから、被告会社の主張するような過当競争のおそれはないと反駁し、被告会社の了解をえられぬまゝさきに被告会社が田海地区の農地を買収した際の買収価額より一層高額な買収価額を提示して寺地地区の農地買収に着手した。他方、明星セメント誘致の目的で訴外小野惣司を先頭に青海町議会議員小野正徳、戸田軍平、小川正雄などが中心となつて工場誘致促進期成同盟会を結成して明星セメントの工場用地買収の交渉にあたり、買収した農地の転用許可を得るため関係諸官庁に陳情を行ない、明星セメント誘致の必要性をといたビラを青海町民に配布し、町政刷新同志会、町政懇談会、民主化クラブなどの政治団体を結成して町政民主化のために明星セメント誘致が必要であることを宣伝し、昭和三四年四月の地方選挙にそなえて明星セメント誘致派(以下たんに「誘致派」という。)の勢力拡大に努めた。このような一連の動きにたいして、被告会社は昭和三三年五月頃より被告会社代表者(取締役社長)および青海工場長名義をもつて前記明星セメントの工場の建設に反対する理由、なかんずく明星セメント工場誘致が青海町と被告会社の発展をいかに阻害するものであるかを強調し、従業員の愛社精神に訴えその協力を求める旨を記載したパンフレツトなどを青海工場に勤務する被告会社の従業員(以下たんに「青海工場従業員」という。)に配布し、さらに同従業員を対象として明星問題説明会、職場懇談会などをしばしば開催し、青海工場長、工場次長など青海工場の幹部職員が率先して前記被告会社の明星セメント誘致反対の態度を説明した。参加組合もこのような被告会社の態度に同調して昭和三三年五月二八日の組合定期大会において、組合員の生活権擁護のためには企業を競業会社たる明星セメントの進出による脅威より護らなければならないという企業防衛の立場から明星セメント誘致に反対し、明星セメント問題について被告会社の方針に協力することを決議し、組合執行部が中心となつて参加組合名義の明星セメント誘致反対の声明書などのビラを配布したり、明星セメントが買収を予定している寺地地区の地主に明星セメントの買収に応じないよう説得し、青海町長、町議会議員、同農業委員会、新潟県農業委員会および新潟県知事などに明星セメント誘致反対、明星セメントの買収した農地の転用許可反対などの陳情をし、青海工場従業員およびその家族の明星セメント誘致反対の署名を集めるなど強力な反対運動を押し進め、それとともに青海工場従業員が主体となつて明星セメント誘致反対の目的のもとに明星誘致反対期成同盟、農地擁護連盟などの団体が結成され、(以下これらの一派をたんに「反誘致派」という。)強力な反誘致運動を展開した。この両派の対立抗争は、明星セメントが工場用地を予定した前記寺地地区の農地買収競争(後記2の(一)参照)と町政の主導権をめぐる昭和三四年四月の地方選挙(後記2の(二)参照)において最高潮に達し、明星セメント工場建設の是非をめぐつて青海町の町議会、農業委員会、商工会、青海町自由民主党支部、同青年部などの諸団体が誘致派と反誘致派に別かれ町ぐるみ右両派の対立抗争の渦中にまきこまれることになつた。

2  右のような一般情勢の中で、つぎのような事件が発生した。

(一) 用地の買収競争

前掲丙第三一号証の七、第三八号証の二および証人山岸利春の証言によれば、青海工場従業員である訴外八木ユキエおよび小野慎一は昭和三三年頃その所有地を明星セメントの工場用地として明星セメントに売り渡したところ、この事実を知つた青海工場の幹部職員および同工場の従業員である親戚などに右明星セメントとの売買契約の解約をせまられ、あるいは職場で上司および同僚より被告会社に土地を売らなかつたことを非難されたので、ノイローゼ気味となりそれぞれ被告会社を退職したことが認められる。

右認定事実と前掲甲第一六号証の一、第一七号証の二、丙第二七号証の二、四、第二八号証の一、二、第三八号証の二、三、証人戸田軍平、塩田新市、池田幾郎、関平作の各証言(ただし証人塩田、池田、関の各証言中後記認定に反する部分を除く。)および原告ら三名各本人尋問の結果(被告長沢、宮川については、いずれも第一回)ならびに前記1の認定を総合すると、青海町は平地部に乏しく、また近年は沿岸漁業も振わないので、同町の農民、漁民のなかには近郊の工場に就職を希望する者が多かつたところから、被告会社を初め青海町周辺の会社は工場用地獲得のため工場用地の買収に応じた世帯の子弟を優先的に従業員に採用する方針をとつていたため、明星セメントと被告会社のいずれに土地を提供するかの問題が直接雇傭問題に結びつき、用地買収をめぐつて友人、親戚、家族間の利害が対立して不和を生ずるにいたつた。被告会社の前記明星セメント誘致反対の方針にしたがつて反誘致運動を行なつている青海工場幹部職員は前記明星セメントの用地買収に対抗するため、明星セメントが買収を予定した土地の所有者が青海工場従業員であるか、もしくはその縁故者である場合には、明星セメントに該土地を買収されないよう、右従業員にたいし右土地の賃貸借を申し出で、もしその申出にしたがわぬ従業員があるときは、その従業員を青海工場の勤労係などに呼び出したり、あるいは職制上の上司を通じて説得したりなどしたので、青海工場従業員は右の要請にしたがわないときは将来待遇面その他で不利益な取り扱いを受けるのではないかという危惧の念を抱くようになつた。そして参加組合も前記認定のとおり被告会社の方針に同調して執行委員などの組合幹部が先にたつて土地所有者に明星セメントに土地を売らないよう説得し、「明星セメント設立反対地主を擁護しましよう」などと表題したビラ(丙第二八号証の二の中一七頁)を配布したので、明星セメントに土地を売り渡した青海工場の従業員は職場の上司、同僚である参加組合員の両方から企業防衛にたいする非協力者として非難されるのではないかと考え、これがため被告会社を退社する者さえあつたことが窺われ、右認定に反する証人塩田新市、池田幾郎、関平作の各証言の一部はいずれも措信できない。

(二) 選挙運動

前掲甲第六号証(とくにそのうちの九頁以下。)、第一六号証の三、第一八号証の二、三、丙第二八号証の一、二、第三一号証の五、六、第三八号証の二、三、弁論の全趣旨により真正に成立したものと認められる甲第三号証(とくにそのうちの五ないし七頁の各中段の写真。)、第四号証(とくにそのうちの二二頁の写真。)および証人小川金明、青代勘一郎、松沢衛、加藤廉次郎、戸田軍平、山岸利春、三浦正一、加茂敏雄、小野清一郎、小野正毅、中村信吉、池田幾郎、塩田新市、関平作の各証言ならびに原告長沢吾作(第一、二回)、宮川久昭(第一、二回)、山本善一の各本人尋問の結果(ただしいずれも後記認定に反する部分を除く。)および前示1の認定事実を総合すると、青海工場の従業員を中心とする反誘致派は昭和三四年四月の地方選挙において同派から町長および多数の町議会議員を当選させ、誘致派を圧倒しようとして、もと被告会社の従業員で当時の町長であつた柳沢新太郎の四選を企図し、町議会議員には青海工場次長渡辺丙一、勤労部長塩田新市ほかの幹部職員など一四名の青海工場従業員その他自派に属するとみられる前町議会議員ら数名を立候補させ、他方誘致派は町長候補者として工場誘致促進期成同盟会の一員で、もと青海町助役、自由民主党青海町支部長などをしていた訴外加藤義平を推し、町議会議員には前記訴外小野正徳、小川正雄、戸田軍平ほか多数の候補者をたて同派から多数の町議会議員を当選させ、もつて工場建設の計画を有利に導びこうとし、昭和三三年の末頃から両派とも活溌な選挙運動を展開した。そして青海工場においては町議会議員に推された前記一四名の青海工場従業員の当選を期するため、昭和三四年二月頃青海工場および被告会社の発電所などを各職場単位で一四の選挙区に分割し、運輸関係は渡辺丙一工場次長を、勤労部は塩田新市部長を、工作関係は原田良男工作係長を、第一改修、設計は西田猛設計係長を、南電炉、南原料は影山博電炉係長を、電気工作、変電所関係は渡辺秀保係長を、北カーバイド、電炉製品は電炉課の渡辺新作を、資材事務所倉庫関係は塩野貞吉資材課長を、倉庫製品、有機合成化学関係は有機課の渡辺仁作を、セメント、原石は加藤文雄セメント部長を、肥料、肥料精品の一部は佐野肇一肥料係長を、製袋、瓦斯、肥料精品の一部は製袋係の大宅敬三郎を、電極と石灰関係は電炉課の八田実次を、総務部は早川秀高総務部長をそれぞれ町議会議員候補者として推薦することが決定され、有権者たる青海工場の従業員およびその家族を対象として投票を割り当てるいわゆる票割りが行なわれ、昭和三三年二月の全電化労働組合中央労働協議会および同年三月九日の参加組合第二回臨時大会において被告会社、参加組合間に成立した、前記就業規則第一三条所定の「会社構内における政治活動の禁止」を企業防衛の目的から昭和三四年四月の町長、町議会議員選挙に限つて緩和する旨の協定にもとづいて青海工場の職員、組長クラス(被告会社の職階制は、(1)一般工員、班長、組長、職長を総称する工員、(2)雇員、(3)係長以上の役職にある職員と段階づけられている)、が中心となつて、青海工場および社宅内で、つぎのような選挙運動を行なつた。

(イ) 訴外小川金明は昭和二四年六月青海工場に入社し、電気工作係の工員(班長)として勤務していたが、前記訴外小川正雄が同訴外人の叔父にあたるところから誘致派に属するものと目されるようになり、昭和三四年三月頃職場において上司の渡辺重造係長から「君と奥さんだけは渡辺秀保に投票してくれ。」と頼まれ、その後同年四月一〇日頃右電気工作課の夜勤者詰所で安全管理係の水沼益夫から「選挙の入場券を会社にもつてこい。」とすすめられた。

(ロ) 訴外加藤廉次郎は昭和二二年一月青海工場に入社し、機械工作係の工員として勤務していたが、前記誘致派の町長候補者加藤義平と永年にわたつて親交があり、右訴外加藤義平の選挙を応援していたところ、昭和三四年二月下旬頃南社宅事務所において社宅係長小野正毅から、加藤義平の選挙運動より手を引くよう要請され、また同年四月二八日頃右訴外加藤廉次郎の上司が機械工作課の休憩室で機械工作課の工員にたいし、「機械工作の者は原田良男に投票すること。ただし大沢方面から来る者は渡辺仁作に投票するように」と要請した。

(ハ) 訴外松沢衛は昭和二四年一月青海工場に入社し、経理係の事務員として勤務していたが、同訴外人は自由民主党青海支部に属する政党員であつた関係上、町長立候補の意思を表明したもと同支部長加藤義平を支持し、昭和三三年八月三一日頃から青海町自由民主党青年部結成の準備をしていたところ、青海工場の幹部職員は右青年部の結成は右訴外加藤義平の選挙を応援するためのものであると判断し、昭和三三年一〇月初旬頃より同月二四日頃までの間約四回にわたり、青海工場の二階応接室で青海工場の庶務係長中村信吉、勤労係長池田幾郎が右訴外松沢衛にたいし右青年部の結成を中止するよう説得したが、右訴外松沢衛はその説得に応ぜず同年一〇月二六日青海町清源寺において青海町自由民主党青年部の結成式を挙行し同青年部の部長に就任したところ、同月二八日頃青海工場の庶務係に属し約五年間タイピストとして勤務していた右訴外人の妻ミツエは、誘致派に被告会社の機密を漏洩するおそれがあるという理由で突然庶務係の事務に配置がえとなり、とくに定まつた仕事もあたらえれず、翌三四年一月二〇日頃前記中村係長から講堂や応接室の掃除をするよう命じられたため、これを著るしく不満とし同月二五日頃被告会社を退職した。

(ニ) 青海工場の幹部職員は社宅において、誘致派が明星セメントの誘致運動ならびに選挙運動をすることを警戒し、南社宅を南北に走る通称洗心町道路、稲荷町道路は民有地である栄町、大沢部落に通じる幹線道路であり、従来は社宅居住者だけでなく一般町民が自由に利用し、右社宅を通過するバスの通行も許され、ほとんど公道と同視されていたのであるが、右道路上において誘致派が宣伝活動をすることを嫌忌し、昭和三四年三、四月頃、社宅内の前記道路に入つて来た誘致派の宣伝カーの通行を阻止し、南社宅に選挙運動のため入場した青海町自由民主党青年部および民主化クラブの宣伝カーの前に青海工場の小型四輪自動車を横向きに停車させたり、社宅係員らが右宣伝カーの前でスクラムを組んだりしてその通行を妨害した。

(ホ) また参加組合も昭和三四年三月一四日に開かれた青海工場幹部との懇談会において前記被告会社の選挙方針に協力することを約したので、政治的な見解あるいは親戚知人などの縁故関係から誘致派と目される人々に投票したいと考えていた青海工場の従業員は、被告会社および参加組合の右選挙方針に同調できないことから将来被告会社より昇給、昇格などの面で不利益な待遇を受けるのではないかと考え、職場にあつては上司あるいは参加組合の職場委員の、社宅にあつては社宅係の目をおそれ選挙にかんしては自分の意見を述べることをさしひかえるようになつた。

以上の認定に反する証人三浦正一、小野正毅、中村信吉、池田幾郎、塩田新市、関平作の各証言の一部はいずれも措信できない。

(三) 安全運動(被告会社の労務管理について)

証人伊藤善光、山道重蔵、関平作の各証言(ただし後記認定に反する部分を除く。)によれば、青海工場の従業員である訴外宮川松島は職場で足の指を骨折したが、職場の安全担当係員大越幸次郎から「安全週間だからなるべく出勤してくれ」といわれたため休業することができなかつたこと、昭和三四年四月頃青海工場の電炉改修課に勤務している渡辺功が足の骨折をしたが休業せず、同僚の引くリヤカーに乗つて出勤したことが認められ、右認定に反する証人山道重蔵および関平作の各証言は措信できない。

右認定事実と前掲甲第四号証(とくにそのうちの八頁の「昭和三三年度電化従業員不休災害」と題する表)、甲第六号証(とくにそのうちの九頁以下)、成立に争いのない丙第二九号証の一ないし四、証人関平作の証言により真正に成立したものと認められる丙第二九号証の五ないし七、証人関平作の証言(ただし後記認定に反する部分を除く。)ならびに原告長沢吾作、宮川久昭の各本人尋問の結果(いずれも第一回)を総合すると、被告会社は、職員の衛生安全を保持するためと称して青海工場において一〇〇万時間の安全競争、安全月間、安全週間などの行事を行ない各職場が競つて公傷者をなくする運動をおこしていたところ、右の安全週間などの期間中に公傷による休業者が出た場合他の部課より安全成績が低下することをおそれ、当該職場の安全担当係員が負傷者の自宅を訪問し、軽労働にまわしてもよいからできるだけ出勤するようにとか、会社に出勤している方が昇給昇格などに幾分でも有利だから出勤するようになどと述べて出勤を勧め、また負傷者自身も公傷による休業が将来の昇給、昇格などに悪影響をおよぼすことをおそれ、心ならずも相当の負傷をしながら休業しないで出勤し、やむをえず休業する場合にも公傷休をとると休業災害となり安全成績の低下するのをおそれみずから年次有給休暇を請求した事例さえあつたことが窺われ、右認定に反する証人三浦正一、関平作の各証言は措信できない。

3  前記2において認定したとおり被告会社の明星セメント誘致反対運動は、行きすぎと目されるような事態を引きおこしたが、前掲甲第一六号証ノ一、第一七号証の九、第一八号証の三および証人伊藤善光、小川金明、斉藤綾雄、松沢衛、関平作の各証言(ただし後記認定に反する部分を除く。)、ならびに原告ら三名各本人尋問の結果(原告宮川、長沢については第一回。)を総合すると、企業防衛のため被告会社の反誘致運動に同調していた参加組合の幹部は、右運動の結果引き起こされた前記(一)、(二)および安全運動の行きすぎが引き起こした前記(三)の事実(以下たんに「人権問題」という。)を調査し、会社と交渉してその是正をはかる熱意が乏しく、また(イ)昭和三三年五月二八日の第一回定期大会で緊急動議として提起された明星セメント工場設立絶対反対の動議にたいし、該動議が青海工場の従業員にたいする圧迫となることを指摘して賛否の意見表明を留保した代議員藤本某はその後社宅係長より呼び出されて叱責されたこと、(ロ)昭和三四年三月四日の第九回中央委員会において「職場で職制の者(監督的地位にある職員をいう)が有権者の数を調べている。名簿の作成について妻の名前を聞かれた。」旨報告した中央委員清水一夫は、執行委員の調査のさい「上司の磯貝某より特定の候補者を応援するための名簿に署名することをしいられた。」旨述べていたが、その後間もなく中央委員をやめたこと、(ハ)右中央委員会で社宅内の尾行監視の事実を指摘した中央委員高橋静雄は後に上司の高尾係長から叱責されたことなどの事実があつたので、中央委員、代議員の中でさえ人権問題を参加組合の機関にかけることに不安を感じるものがあり、まして一般従業員は人権問題に関連して被告会社を批判することが、青海工場の幹部職員から誘致派に加担する行為ととられるのではないかという危惧の念から表面的にこれを問題にすることができなかつたため、組合員の一部には参加組合幹部の態度にたいし不満を感じていたものもあつたことが認められ、右認定に反する証人三浦正一、関平作の各証言は措信できず他に右認定を動かすに足る証拠はない。

二  権利停止の事由(抗弁1の(一)の(ロ)の(2)および2について)

1  革新同盟、職場を明るくする会(抗弁1の(一)の(ロ)の(1)の(A)ないし(D)および同2について)

(一) 成立について争いのない甲第一六号証の一、三、第二六号証、乙第一号証、丙第一号証の一ないし三、第三号証の一、二、第六号証の一、二、第三八号証の一ないし三、原告長沢本人尋問の結果(第一回)により真正に成立したものと認められる甲第二〇号証の一、二、証人倉又武雄の証言により真正に成立したものと認められる丙第二号証の一、二ならびに証人小川金明、青代勘一郎、松木正二郎、松沢衛、加藤廉次郎、戸田軍平、山岸利春、大野三郎、倉又武雄、高村誠一、渡辺岩雄、加茂敏雄、水島法一、田代三四郎、池田幾郎、塩田新市、関平作の各証言および原告ら三名各本人尋問の結果(原告長沢、宮川については各第一、二回)(ただしいずれも後記認定に反する部分を除く。)を総合すると、つぎの事実を認めることができる。すなわち

(イ) 昭和三三年一二月一日、同月三〇日の二回にわたつて「電化従業員革新同盟」の名義で「参加組合の明星セメント誘致反対決議はさくらを使い議長職権の名をかりて迎合的拍手により成立したものである。被告会社の明星セメント誘致反対の方針は独占的排他的な思い上りにもとづくものであり、従業員にたいしては徳川幕府の農民にたいすると同様にいわゆる『生かさず、殺さず』という態度をもつてのぞんでいるが、参加組合執行部は自己の保身と出世をいそぐあまり、会社のお先棒をかつぎ、会社の命令伝達機関になりさがつている。」として参加組合の前記明星セメント誘致反対決議を激しく非難攻撃し、被告会社と参加組合の幹部とを痛烈に批判するビラ(第一、二報)が青海町一帯に郵送された。右電化従業員革新同盟(以下たんに「革新同盟」という。)のビラ第一報をみた参加組合執行委員会(以下たんに「執行委員会」という。)は、昭和三三年一二月二二日右ビラの内容が前記組合大会の明星セメント誘致反対決議をひ謗するものであると認定し、右ビラ配布行為にたいする対策を右同日開かれた参加組合の第七回中央委員会(以下たんに「中央委員会」という。)に付議したところ、同委員会は右ビラの出所、革新同盟の実態を調査するため調査委員会を設置する旨を決議し、訴外渡辺岩雄、水島法一、小野政雄、寺崎隆、滝沢一二三がそれぞれ調査委員に選任され、右訴外渡辺岩雄が委員長となつてただちに調査を開始した。ところが、かねてから前記青海工場幹部職員による選挙干渉を不愉快に思つていた訴外加藤廉次郎は昭和三四年二月頃、前記訴外戸田軍平の選挙運動をしていた訴外山岸利春と協議し、右選挙干渉に対抗するため、誘致派の選挙運動をしている他の青海工場の従業員と互に連携し、各自が支持している誘致派の町長候補者、町議会議員候補者の選挙運動を有利にすすめ、あわせて人権問題にかんする資料をしゆう集してこれを参加組合執行部に提出し、組合を通じて会社に抗議しようと考え、昭和三四年三月一〇日午後六時半頃糸魚川市内の相沢飲食店で第一回目の会合を開くことを計画した。

(ロ) 右三月一〇日の相沢飲食店における第一回会合には右訴外加藤廉次郎、山岸利春のほか、前記訴外小川正雄の選挙運動をしている前記訴外松沢衛、右訴外戸田軍平の選挙運動をしている訴外加茂敏雄、松木正二郎、右訴外加藤廉次郎のもとで誘致派の町長候補者加藤義平の選挙運動に従事している訴外山口博男、金子忠司、自由民主党青海町支部の党員として右訴外加藤義平を支持している上谷栄、右訴外山口博男に誘われて人権問題の資料の提供をうける目的で出席した原告宮川、および同原告に同行してきた訴外戸田軍平、原告宮川にすすめられて出席した原告長沢(以上のうち戸田軍平を除くその余の者はすべて青海工場の従業員である。)などが参会し、座談は地方選挙、明星誘致問題などを中心としてはこばれたが、右同日午後七時過ぎに同会合に出席した原告長沢から「前日(三月九日)の参加組合第二次臨時大会において、地方選挙にかんし町長には柳沢新太郎を、町議会議員には明星誘致に反対する者を推薦することと、調査委員会の調査対象に明星セメント誘致推進者を加えることが決議されたので、地方選挙、明星セメント誘致問題を論議すれば参加組合から統制違反者として処罰されるおそれがある。」旨の発言があつたので、右参会者らは右原告長沢の忠告をいれ、それ以後はそれぞれが職場あるいは社宅内で経験した青海工場幹部らによる選挙干渉、農地買収競争による従業員の圧迫、安全運動をめぐる労働強化などの人権問題を論議していたが、右同日午後八時頃原告宮川と訴外戸田が同会合の席上に現われ、原告宮川が日本社会党所属代議士猪俣浩三に人権問題を報告してきたこと、糸魚川駅より直江津駅まで被告会社の警備員山崎司ほか二名に尾行されたことなどを語つたところ、参会者の中には人権問題について適切な処置をとらない原告宮川、長沢ら執行委員を非難する者もあつたので、同原告らは執行委員が人権問題を正式に取りあげ被告会社に抗議するためには、たんなる風評ではたらず確実な資料が必要である旨を説明し、参会者が経験した人権問題を書面にして原告らに提出するよう依頼した。訴外戸田軍平は被告会社の警備員が同訴外人を尾行監視している事実を報告し、被告会社より圧迫をうけても同志を裏切ることのないようにとの発言をした。そしてその後右参会者らは互に人権問題の資料を原告長沢、宮川に提出するため四日後の三月一四日に再度右相沢飲食店に集まることを約して散会した。

(ハ) 昭和三四年三月一四日午後七時頃相沢飲食店に前記訴外松沢衛、上谷栄、加茂敏雄、松木正二郎、金子忠司、山口博男、加藤廉次郎、小川金明、原告長沢、宮川のほかに前記訴外小川正雄、訴外戸田軍平の選挙運動をしていたもと青海工場従業員青代勘一郎、右戸田軍平の選挙を応援していた訴外斉藤綾雄、原告宮川より誘われて出席した原告山本が加わり前回と同じく互に人権問題によつて職場が暗く畏縮していることを語り合い、被告会社および参加組合にたいする不平不満をぶちまけあつていたが、参会者のうちには、明星誘致反対について被告会社とまつたく同調し、反対運動に奔走している組合執行部に、人権問題にかんする具体的な資料を提出し、その是正方を要求しても、該要求がたんなる誘致派の不平不満としてうけとられる危険があり、しかもこのことが被告会社に知られた場合誘致派の策動として厳しい圧迫をうけるおそれがあるのではないかという不安の念を表明する者があり、また被告会社および参加組合の圧迫をおそれて人権資料の提出をためらう者もあつたので、同会合を「職場を明るくする会」と命名し、職場を明るくする会名義で人権問題により畏縮した従業員を力づけるような内容のビラを広く青海工場従業員に配布し、多くの従業員から人権問題にかんする具体的な資料の提供をうけ、これを参加組合が加盟している西頸城郡地区労働協議会、参加組合がいわゆる友誼団体として連絡提携をはかつていた合化労連、総評などの諸団体に提出して人権問題の解決にかんしてその支援を要請し、さらに西頸城郡を選挙地盤とする前示代議士猪俣浩三を通じて法務省人権擁護局に右問題を提起し問題解決の努力をしてもらうことを相談し、右ビラの原稿作成を訴外松沢衛および原告宮川に、ビラの印刷を訴外山岸利春に一任することを決定して散会した。その後右職場を明るくする会の第一、二回と同旨の会合が三月二四日、同月三一日の二回にわたつて右相沢飲食店で、四月七日には糸魚川市内の田鹿旅館で行われ、その間四月初旬頃職場を明るくする会名義で被告会社の選挙干渉、労務管理の不当性にたいして抗議し、その是正をはからない組合幹部を激しく批判し、地区労、総評の助けを求めようと訴える趣旨のビラ二種類(同会第一、二報)が青海工場の構外で同工場従業員らに配布された。

(ニ) ところが、前記調査委員会は前記認定のとおり職場を明るくする会の会合に誘致派の指導的地位にあると目されている訴外戸田軍平、小川正雄の両名が出席していたこと、また同会の参会者が原告ら三名を除いてはいずれも誘致派の町長、町議会議員候補者の選挙活動をしていた者であること、後記認定のように革新同盟のビラの内容からみて参加組合の内情にくわしいものが右ビラ作成に関与していると考えられたこと、原告長沢が右訴外戸田軍平と親交があるようにみうけられたことなどの事実と、調査委員渡辺岩雄、寺崎隆が個人的に訴外大橋良栄、山口博男、金子忠司からえた情報にもとづき、右調査委員会が昭和三四年四月一八日第一〇回中央委員会に提出報告した調査報告書第二項(丙第六号証)に記載のような事実を認定し、革新同盟は訴外戸田軍平、青代勘一郎、加茂敏雄、山岸利春らの誘致派と原告ら三名が気脈を通じ明星セメント工場誘致運動を有利に導くために結成したものであつて、同会は明星セメントより資金援助をうけ、同会社の幹部職員の指示によつて活動し、右の目的を達成するため被告会社と参加組合をひ謗し、両者を離間させるために前記のようなビラを青海工場の従業員に配布したものであり、職場を明るくする会は右革新同盟の実体を隠し調査委員会の追及をまぬがれるため名称だけを改めたものであつて実質的には革新同盟と同一の団体であると断定した。右調査委員会の報告にもとづき昭和三四年四月一八日中央委員会は組合規約により処罰委員会を設置し、同委員会の「原告らの前記行為は組合員にたいす背信行為であり、かつ組合大会の決議に違反するもので組合規約、賞罰規定第一条第一、二号に該当するる。」との答申にもとづいて右賞罰規定第三条により同月二〇日原告宮川、長沢、山本をそれぞれ権利停止一年に、訴外松沢衛、上谷栄、加茂敏雄、松木正二郎をそれぞれ権利停止六月に処し、参加組合は翌二一日右被処分者らにたいしてそれぞれ右処分を通告し、あわせて爾後参加組合の方針に同調し組合の団結に協力するよう要望した。その後同年六月二日被告会社は原告ら三名の前記行為を就業規則違反行為であると認定し、原告長沢、宮川を出勤停止一〇日間、減給一〇分の一、原告山本および右訴外松沢衛ほか二名を減給一〇分の一の懲戒処分に付した。

以上の認定に反する甲第二六号証、証人加茂敏雄、渡辺岩雄、水島法一、松木正二郎の各証言は措信できない。

(二) 被告会社らは、「(イ)昭和三三年一一月六日午後九時頃訴外戸田軍平方に原告宮川、訴外青代勘一郎、加茂敏雄らが集まり訴外戸田軍平の提唱により革新同盟なる名称で、参加組合内において明星セメント誘致反対決議に反対し、明星セメント誘致賛成の傾向を助長する活動をすることを決定し、原告宮川は右訴外戸田軍平の依頼をうけて、参加組合の昭和三三年五月二八日の組合大会議事録を右訴外人に閲覧させた、(ロ)昭和三四年三月一〇日午後六時頃、訴外戸田軍平の招集により糸魚川市内の相沢飲食店に原告長沢、宮川ほか数名の者が会合し、参加組合の明星セメント工場建設反対運動を挫折させるための具体的な運動方針として、参加組合から一〇〇名の組合員を訴外戸田らの同調者として獲得するよう努力することなどを協議決定した。(ハ)同年同月一四日午後七時頃、前記相沢飲食店において訴外戸田軍平および原告ら三名ほか、一〇数名の者が集まり、それまで同人らが『革新同盟』なる名称のもとに活動してきた運動をあらたに『職場を明るくする会』の名称のもとに続けることを協議決定した、」旨主張するが、右主張にそう前掲甲第二六号証、証人加茂敏雄、渡辺岩雄、高村誠一、水島法一、田代三四郎、松木正二郎の各証言の一部は、つぎにあげる理由によつて信用できない。

(1) 成立に争いのない甲第二六号証、第二八号証、丙第三号証の一、二、第四号証の一、二、第五号証の一、証人松沢衛の証言により真正に成立したものと認められる甲第一二号証、証人加茂敏雄の証言により真正に成立したと認められる丙第四号証の三および証人青代勘一郎、松沢衛、戸田軍平、加茂敏雄の各証言ならびに前記認定事実を総合すると、訴外加茂敏雄は昭和二二年七月頃青海工場に入社し、以来同工場の肥料製品課に工員として勤務していたが、昭和三三年二月頃衆議院議員選挙において訴外田中彰治のために選挙運動をしたことから、当時右訴外田中候補の選挙責任者であつた訴外戸田軍平と知りあい、同訴外人より工場誘致の必要性を説かれて明星セメント誘致運動に共鳴し、前記町政懇談会、青海町自由民主党青年部などに加入し、昭和三四年四月の地方選挙においては訴外戸田軍平の選挙を応援し、訴外青代勘一郎らとともに活溌な選挙運動を行ない、前記認定のとおり職場を明るくする会に出席して人権問題にかんする資料のしゆう集、ビラの作成配布などに関与したが、参加組合より権利停止六月の懲罰に処せられ、つづいて被告会社からも出勤停止一〇日間の懲戒処分をうけるや、その後間もない六月二一日、自己名義で「職場を明るくする会は革新同盟を改名したもので、その目的は明星セメント誘致に反対する組合の革命をはかり、明星問題について被告会社と協力態勢にある参加組合を分裂させて被告会社と組合とを離間させ、明星セメント誘致運動を有利に進めることである。右会の活動は組合にたいする破壊行為である。」旨を記載した「私は訴える」と題するビラを工場構外で青海工場の従業員に広く配布し、翌七月一〇日には原告ら三名の除名にかんする第二次処罰委員会において革新同盟、職場を明るくする会の構成員、会の活動目的などを陳述したこと、前示のとおり訴外加茂敏雄は肥料製品課の製袋係工員であるが、本件訴訟ならびに当庁昭和三五年(ワ)第一一一号雇傭契約存続確認請求事件の被告会社ら申請の証人として証言するため、昭和三五年六月頃から前記勤労部長塩田新市に命ぜられて青海工場の事務所内にある放送室で、勤労課の職員斉藤某より被告会社が前記減給、出勤停止などの懲戒処分を行なうにあたり、関係者より事情を聴取して作成した調書などの資料をみせられてメモを作成し、また参加組合の貸工(組合より給与をうけ労働時間中に組合業務に従事することをいう。)となつて、前記調査委員会が関係者の供述を録取したメモなどの調査資料をみせられ、同年九月一九日にいたるまで通算一カ月以上証言の準備をしたことが認められる。右事実と職場を明るくする会にかんする前記認定事実を総合すると、革新同盟および職場を明るくする会にかんする同証人の証言ならびに甲第二六号証、丙第四号証の三はにわかに信用することができない。

(2) 証人渡辺岩雄、水島法一、田代三四郎、高村誠一の各証言によれば、前記調査委員会は調査委員長渡辺岩雄が訴外大橋良栄から事情を聴取した事実、調査委員寺崎隆が訴外山口博男から事情を聴取した事実、訴外斉藤綾雄および金子忠司の調査委員会にたいする陳述および右訴外渡辺岩雄が訴外大橋良栄の陳述を録取したメモ、ならびに訴外金子忠司が作成したメモなどにもとづいて、前記調査報告書(前掲丙第六号証の一)の第二項に記載のような事実を認定したことが窺われるが、右各証人の証言によつても、右訴外大橋良栄、山口博男、斉藤綾雄、金子忠司の各陳述内容ならびに右各メモの記載内容がいかなるものであつたか明確でなく、また前掲甲第二〇号証の一、二、証人渡辺岩雄の証言により真正に成立したものと認められる丙第二〇号証の一六、一七(なお原告らは同号証が変造されたものであると主張するが、これを認めるに足る証拠がない。)証人斉藤綾雄の証言および前記(一)の認定事実と照らしあわせると、訴外山口博男、斉藤綾雄が原告ら三名と革新同盟との関係について被告会社ら主張の事実を裏付けるような陳述をしたかどうかきわめて疑わしいので、前記事実から直ちに被告会社ら主張の事実を推認することはできない。

(3) 証人松木正二郎は昭和三四年五月一三日頃青海町内の「お富の店」こと訴外青代勘一郎方前の路上で、訴外加茂敏雄および原告宮川が「革新同盟は俺達がやつたんだ。」と放言していた旨証言しているが、原告宮川、長沢各本人尋問の結果(各第一回)によれば、その頃原告ら三名は革新同盟は原告ら三名と無関係であり、前記権利停止は実体上の理由を欠く無効なものであるとして、これが取り消しを求めるため新潟県地方労働委員会および当裁判所に提訴する準備をしていたことが認められ、右事実と原告宮川、長沢各本人尋問の結果(各第一、二回)を対比すると、右証人松木正二郎の証言はにわかに信用できない。同じく証人松木正二郎の証言中に、昭和三四年五月頃原告宮川の依頼を受けて同原告の手紙をもつて訴外戸田軍平宅に赴き、同訴外人より革新同盟および職場を明るくする会のビラ第一、二報、合計数一〇〇枚をうけ取つて原告長沢の自宅に運んだ旨の供述部分があるが、該部分は証人戸田軍平の証言、原告宮川、長沢各本人尋問の結果(各第一回)に照したやすく信用することができない。

(4) もつとも前掲丙第二号証の一、二、証人倉又武雄、渡辺岩雄、水島法一、関平作の各証言を総合すると、昭和三三年一二月二七日付け革新同盟のビラ第二報には、「被告会社の東京本社において行なわれた年末手当要求団体交渉中、被告会社重役が『労組の諸君に告ぐ』と題するパンフレツト(昭和三三年一二月一日付け革新同盟のビラ第一報の趣旨)を入手し、大慌てに慌てて、一・三闘争の残党が暴れ出した、速やかに対策を講じなければと鳩首協議し、為に交渉委員は青海に帰る日を一日延期した程の驚きようであつた。…………二三日、先般亡くなつた高瀬部長宅での追悼法要の後、前記山之内部長、池田係長に一八人の狗を交えて青海館へ集り、余程真相発表がこたえたと見え、深更迄種々協議し、革新同盟を叩き滅す密議をしていた。」旨の記載があるが、右記事に一部付合する事実として、昭和三三年一二月一〇日頃被告会社本社で行なわれた年末手当要求にかんする中央交渉の席上において、大牟田工場労働組合の代表者大本春夫が革新同盟のビラ第一報を話題にしたところ、被告会社本社の勤労部長山之内某が「明星の策動ではないか」と述べたことがあり、また同年同月二三日頃青海工場のもと勤労部長高瀬某の追悼法要が同部長宅で行なわれ、同部長在職中親交のあつたもと組合幹部など二四、五名が参加し、右法要の後青海町内の天狗館で右部長の追悼会を行なつたが、右追悼法要、追悼会は一般にあまり知られていなかつたにもかゝわららず、原告宮川がこれを知つていたことが認められるが、証人渡辺岩雄の証言により真正に成立したものと認められる丙第二〇号証の三(同号証が変造されたものであるとの原告らの主張もこれを認めるに足る証拠がない。)によれば、前記中央交渉に出席した訴外関平作、倉又武雄、大越某、原告長沢などが執行委員会において中央交渉の結果報告を行なつたさい、前記訴外大本春夫の発言についても報告したことが認められ、さらに証人関平作の証言および原告宮川本人尋問(第一回)の結果によれば、前記高瀬元勤労部長の追悼法要、追悼会には青海工場の従業員が多数参加しており、とくに組合役員でなければ知りえない事実ではないことが窺われる。したがつて、前記認定事実から直ちに革新同盟のビラ第二報の記事の内容が前記中央交渉に直接関与したものでなければ知りえない事項であり、該交渉に参加した原告長沢、あるいは高瀬元勤労部長の追悼法要の事実を知つていた原告宮川が右ビラの作成に関係したものと推認することはできない。そのほか、証人渡辺岩雄、倉又武雄、水島法一、大野三郎の各証言および原告山本本人尋問の結果を総合すると、原告山本と執行委員水沼節雄が調査委員会の依頼をうけ革新同盟のビラの印刷所を調査し、昭和三四年一月一五日頃革新同盟のビラ第二報の印刷所が訴外日本カーバイド工業株式会社の出入業者である魚津市内の中部印刷であることを発見し、同印刷所の従業員から右ビラの印刷を注文した者が右訴外日本カーバイド工業株式会社であることを聴取しこれを調査委員会に報告したところ、右事実がその直後頃明星セメントの職員本城某に察知され、右ビラの注文主を原告山本らに教えた右印刷所の従業員が右訴外本城某に叱責された事実があつたので、調査委員会は右の調査結果を知ることができた調査委員および執行委員のうちに、調査委員会の内情を誘致派に内通する者がいるのではないかとの疑惑をもち、右中部印刷の調査に赴いた原告山本および訴外戸田軍平と交際のある原告長沢、宮川に右の嫌疑がかけられたことが認められるが、証人渡辺岩雄の証言により真正に成立したものと認められる丙第二〇号証の六(同書証が変造されたものであるとの原告らの主張はこれを認めるに足る証拠がない。)、原告長沢、宮川各本人尋問の結果(各第一回)によれば、昭和三四年一月下旬頃調査委員および執行委員以外の青海工場従業員が右の調査結果を知つていたことが窺われるので、右事実から直ちに原告ら三名が誘致派に右の調査結果を内通したものと推認することはできない。また証人倉又武雄、水島法一の各証言、原告宮川本人尋問(第一回)の結果によれば、原告宮川は秋期生産褒賞金にかんする中央交渉委員として上京した前日の昭和三三年一一月二五日に組合書記大竹某より前記昭和三三年五月二八日の組合大会議事録を借りうけ、同年一二月五日同書記よりその返還をもとめられるまで返還しなかつたことが認められるが、成立に争いのない丙第二七号証の五、証人渡辺岩雄の証言および原告宮川本人尋問(第一回)の結果によれば、昭和三三年一一月頃青海工場内に「執行委員の中に明星派がいる。組合大会でも明星セメント誘致反対に反対している。宮川は明星派である。」旨の噂が流布されたので、原告宮川は前記五月二八日の組合大会で自己がどのような発言をしているかを確めるため、同年一一月二五日昼頃右組合書記大竹某より右大会議事録を借りうけたが、その直後に開かれた執行委員会において原告宮川ほか二名の執行委員が翌二六日より三〇日までの間、被告会社本社で行なわれる秋期生産褒賞金にかんする中央交渉の委員に指名されたため、その準備に忙殺されて右議事録を返還することを忘れ、これを組合事務所内の自己の机の抽出のなかに入れたまま上京し、一二月五日頃右大竹書記に返還をもとめられあわてて右抽出しより借用した議事録を取り出して返還したことが認められ、右認定に反する証人水島法一、関平作の各証言は措信できない。したがつて、原告宮川が右議事録を借りうけた事実から直ちに右原告が訴外戸田軍平の依頼をうけて大会議事録を借りうけ、これを右訴外人に閲覧させたとの事実を推認することはできない。証人山岸利春、渡辺岩雄、水島法一、高村誠一、田代三四郎の各証言を総合すると、調査委員会は訴外山岸利春が職場を明るくする会のビラ第一、二報を誘致派の町議会議員小野正徳の経営する丸田組の事務所で謄写版印刷をした事実、右訴外小野正徳、戸田軍平らの誘致派が明星セメント誘致運動につき明星セメントより資金的援助をうけていた事実、訴外金子忠司が調査委員会にたいし「私が明星の本部に行つて小川正雄、戸田軍平から直接職場を明るくする会の会合費用を貰つてくる。」旨供述したことなどから職場を明るくする会が明星セメントより資金的援助をうけているのではないかという疑をもつたことが認められるが、右訴外金子忠司の供述は証人戸田軍平、松沢衛、加藤廉次郎、小川金明の各証言に照して措信できないし、その他の事実から直ちに職場を明るくする会が明星セメントより資金的援助をうけていたとの事実を推認することもできない。つぎに証人渡辺岩雄、水島法一の各証言および原告宮川本人尋問(第一回)の結果によれば、原告宮川が昭和三四年一月五日頃の調査委員と組合執行委員との懇談会の席上で、「今席は組合幹部が革新同盟のビラで叩かれるということが職場で話題となつている。」旨発言したこと、同原告が昭和三四年三月上旬頃電化大牟田工場労働組合に出張している全電化労働組合連合会事務局長北村某宛に発した前記労働協約第一三条の解釈にかんする照会の電報が、発信人北村、宛名人電化大牟田工場労働組と誤つて打電され同組合に送達されたことなどが、調査委員会から疑惑のある行動とみられ、原告宮川が革新同盟に関係しているのではないかという疑問をもたれたことが認められるが、右事実から直ちに前記被告会社ら主張の事実を推認することはできない。

成立に争いのない甲第一六号証の一、証人戸田軍平、松木正二郎、斉藤綾雄、関平作の各証言、原告ら三名本人尋問の結果(原告長沢、宮川については各第一、二回。)ならびに前記(一)の事実を総合すると、昭和三三年五月二八日の組合定期大会で明星セメント誘致反対の動議が討議されたさい、原告長沢は「明星セメント工場の建設を阻止し、電化従業員だけの生活安定を考えるよりも貿易の伸長により他企業の労働者の生活安定を考える必要がある。大局的立場からの判断と我々企業内から見ての判断のどちらにウエイトをおくかは非常に難しい問題なので賛否については態度を保留する。」旨発言し、また原告宮川も「明星セメントにかんしては内容を良く知らないので、双方の意見を聞いたり実態を良く調査した上で態度を決めるのが至当と思うので、賛否については態度を保留する。」旨発言し、いずれも右動議に消極的態度を取つたが、原告宮川は昭和三三年五月頃、原告長沢は同年六月下旬頃、原告山本は同年七月中旬頃いずれも訴外戸田軍平と知り会い、同訴外人が誘致派の指導的地位にあることを知りながら、原告宮川、長沢は翌三四年三、四月にかけて当時地区労議長で新潟県議会議員に立候補していた訴外川原貞造の依頼をうけて、選挙情報のしゆう集連絡などの目的で右訴外戸田軍平方を二、三回訪問し、前記職場を明るくする会を通じて同訴外人とともに人権問題の資料をしゆう集し、訴外猪俣浩三を介して法務省人権擁護局に問題を提起するため運動したが、他方原告宮川は昭和二五年頃より参加組合の職場委員、全電化労働組合連合会の代議員、中央委員を経て、昭和二九年一月頃から、原告長沢は昭和三一年から、原告山本は参加組合中央委員、全電化労働組合連合会の中央委員、代議員を経て昭和三三年五月からいずれも同三四年四月二〇日前記権利停止により解任されるまで引続いて執行委員の地位にあつたもので、いずれも活溌な組合活動家であり、前記明星セメント誘致反対の組合大会決議にたいしては内心批判的ではあつたが、右大会決議にしたがい執行委員として関係諸官庁に明星セメント誘致反対の陳情に赴き、社宅居住者から明星セメント誘致反対の署名を集めたり、参加組合の発行したビラを配布したりなどして反誘致運動をしていたことなどが認められ、本件の全証拠によつても原告ら三名が被告会社ら主張のように訴外戸田軍平と提携して明星セントメ誘致運動を有利に導くための活動をしなければならなかつた動機が認められないことなどを勘案すると、右原告らが訴外戸田軍平と前記認定のような交際があつたことから、直ちに被告会社ら主張のように右原告らが訴外戸田軍平の提唱にもとづき革新同盟に関与したものと推認することはできないし、他に前記被告会社らの主張を認めるに足る証拠はない。

2  職場を明るくする会のビラ配布行為(抗弁1の(一)の(ロ)の(1)の(E)および同2について)

被告会社らは、参加組合は総評の加盟組合でもなく、またこれに加盟する意図をもつておらず、一般運動方針についてはむしろ総評と傾向を異にし、全労への加盟を志向し、全新労との提携を深めるとの運動方針をとつていたにもかゝわらず、原告ら三名は昭和三四年四月三日「組合(参加組合の趣旨)が明星セメント反対運動を展開して、組合員にその協力を強いるので、このような圧力下に苦痛を感じるものはすべからく最大の味方である総評、地区労に救を求めよ。」という趣旨を記載した職場を明るくする会発行名義のビラ二種類(同会第一、二報)を作成し、参加組合員ほか多数の者に配布し、もつて前記参加組合の明星セメント誘致反対の決議ならびに一般運動方針にたいする反対を表明し、組合幹部と一般組合員との離間を画策した旨主張するが、成立に争いのない甲第一八号証の一、丙第二七号証の四、証人三浦正一の証言により真正に成立したものと認められる丙第七号証の一ないし三、証人関平作の証言により真正に成立したものと認められる第二四号証の二(同書証が変造されたものであるとの原告らの主張はこれを認めるに足る証拠がない。)、証人三浦正一、磯野八郎の各証言、原告宮川、長沢各本人尋問(いずれも各第一、二回)の結果を総合すると、参加組合は昭和三〇年地区労に加盟し、右ビラの配布された昭和三四年四月頃には参加組合の副執行委員長三浦正一が地区労副議長を勤めていたこと、参加組合は昭和二六年頃から引き続いて合化労連加盟指向の運動方針をとつてきたが昭和三〇年生産性向上運動の問題にかんして総評傘下の合化労連の運動方針に追従することができなくなり、同三三年九月九日の全新労第四回秋期労働講座には執行委員を出席させ生産性向上運動の問題で全労とも提携し、同三四年五月二六日の組合定期大会においては全労加盟を指向し、全新労との提携を深めるとの運動方針を決議したが、それとともに同年六月下旬頃までは右合化労連の大会に執行委員などを傍聴人として派遣し、合化労連を通じて総評ともいわゆる友誼団体として連絡提携をはかつていたことが認められ、右認定に反する証人三浦正一の証言は措信できない。また成立に争いのない丙第三号証の一、二によれば、右職場を明るくする会のビラ第一、二報の内容は、参加組合が被告会社と締結した前記労働協約第一三条の「会社構内における政治活動の禁止」の緩和にかんする協定がかえつて青海工場従業員の選挙における投票の自由を束縛し、また明星セメント誘致反対運動の行きすぎから職場内で従業員の尾行監視などの人権問題が引き起こされていることを指摘し、これらの問題について被告会社に抗議し、その是正をはからない組合幹部を激しく批判し、地区労、総評の助けを求めようと訴える趣旨であることが認められる。したがつて、右ビラが被告会社ら主張のように参加組合の明星セメント誘致反対の決議ならびに参加組合の全労加盟指向の運動方針にたいする反対の表明ということはできないし、また原告ら三名が右ビラの配布に関与したことから直ちに原告らが組合幹部と一般組合員との離間を画策したとの事実を推認することもできない。

三  除名の事由(抗弁1の(一)の(ハ)および同2について)

1  成立に争いのない丙第四号証の一、二、第五号証の一ないし五、第六号証の三、四、第一五号証の二、第一六号証、第一七号証の一、二、第二七号証の一〇、証人関平作の証言により真正に成立したものと認められる甲第二一号証の一ないし四、丙第一四号証の一、二、第一五号証の一、三、四、第一七号証の三、四、第一八号証の一、二および証人磯野八郎、三浦正一、加茂敏雄、松木正二郎、関平作、塩田新市の各証言(ただしいずれも後記認定に反する部分を除く。)ならびに原告ら三名各本人尋問の結果(原告長沢、宮川については各第一回)を総合すると次の事実が認められる。すなわち、

参加組合より権利停止処分を受けた原告ら三名および訴外松木正二郎、加茂敏雄らは糸魚川市内の風間旅館、相沢飲食店、飲食店「すし広」などで数回会合し、右権利停止処分を抗争する方法について協議し、まず前記組合規約第五八条により右処分を地労委に提訴する準備をしたが、昭和三四年四月二五日頃原告宮川が新潟県地方労働委員会委員鈴木某を通じて同委員会事務局に原告らの提訴が受理されるか否かを問いあわせたところ、右事務局から「権利停止処分をめぐる紛争の調整権が地方労働委員会の権限に属するか否かはなはだ疑問である。」旨の回答があつたので、この上は職場を明るくする会の真の目的を参加組合員、地区労、その他の友誼団体に広報し、その支援をえて参加組合にたいし右処分の撤回を要求するほかはないと考え、職場を明るくする会あるいは原告ら三名の名義で「職場を明るくする会は、明星問題をめぐつて引きおこされた被告会社による選挙干渉、労働強化、守衛、社宅係による尾行、監視、同僚間の密告などにより暗く畏縮した青海工場従業員の心を明るくし組合を強化するため、具体的な資料をしゆう集し組合機関に問題を提起し、組合を通じて被告会社に抗議する目的でつくられたものであつて、同会は革新同盟とはまつたく関係がない。原告ら三名は誘致派に協力したことはない。参加組合の権利停止処分は、実体上の理由を欠き、手続上も原告ら被処分者に弁明の機会を与えず、中央委員会が挙手採決で処分を決定するなどの組合規約違反があるため無効である。」旨訴える内容のビラを昭和三四年四月二九日頃から数回発行し、青海工場の構外で同工場従業員および青海町民に配布し、さらに右ビラを県労協、全新労、合化労連北信地区協議会、信越化学労働組合、日東硫曹労働組合などに送付して支援を求めた。原告ら三名は同年六月三日地区労事務局長磯野八郎に本件権利停止の経過を説明し、原告らの反対闘争を支援するよう依頼し、同月一八日前記被告会社の懲戒処分の取り消しを求める訴を当裁判所に提起した。原告長沢、山本が出席した同月一六日の合化労連第一八回定期大会では日東硫曹労働組合の提案により原告ら被処分者を支援することを決議し、右決議にもとづき参助組合にたいし同月二五日頃合化労連中央執行委員長太田薫名義で「合化労連は参加組合および被告会社の不当な処分に反対し、被処分者を支援する。」旨の申し入れがされ、同年七月一八日総評議長太田薫、県労協議長杉山善太郎、地区労議長川原貞造、社会党および共産党の各代表者などが参加組合執行部にたいし参加組合の権利停止、被告会社の懲戒処分の撤回方を申し入れた。右合化労連の決議に呼応して合化労連北信地区協議会および同協議会に加盟している信越化学労働組合、日本カーバイド労働組合ほか一〇単位組合が原告ら被処分者を支援することを決定し、国鉄労働組合金沢地方本部糸魚川駅分会の有志が中心となつて被処分者を支援するため、「青海電化工場の権利闘争を守る会」なる団体が結成され、六月中旬頃同会名義で「青海工場従業員にたいする被告会社幹部の選挙干渉、労働強化を激しく抗議し、原告ら被処分者の支援を要請する。」旨の内容のビラが青海町民に配布された。参加組合では、右原告ら被処分者の抗争、外部団体の支援に対処するため、後記認定のとおり、同年六月二〇日の中央委員会で処罰委員会を設置し、「原告らが権利停止処分を根拠のないものだと主張し、参加組合と運動方針を異にする他団体の応援を得てともに参加組合をひ謗した事実」について調査を開始した。一方、地区労幹事会は原告ら三名の前記申し入れにより同月二三日頃から七月一九日頃までの間、数回にわたり参加組合執行委員長関平作ほかの執行委員から権利停止の理由などについて事情を聴取し、同月一九日地区労第二回定期大会で幹事会の大数意見として、地域労働者の権利を擁護するため被処分者の反対闘争を支援することを提案し、同大会は参加組合の代議員を含めて調査委員会を設置し、「事態を収拾する方向で実情調査を進める」旨を決議したが、右地区労大会の決議にもかかわらず後記認定のとおり同年七月二五日参加組合中央委員会は原告ら三名の除名を決議し、さらに同月二九日除名決議にかんする組合臨時大会の開催、八月三、四日一般組合員の無記名投票の施行を決定したので、地区労副議長川井某、同幹事中村某、同事務局長磯野八郎らは右地区労大会の決議にしたがい除名処分の確定をさけるため参加組合執行部に右組合臨時大会の期日を延期するように申し入れ、同月二八日まで協議を重ねたが、ついに意見の一致を見ることができず、同月二九日右参加組合臨時大会で原告ら三名の除名決議がなされたので、翌三〇日地区労幹事会は原告ら三名を支援することを決議し、地区労評議会は右幹事会の決議を承認した。そこで地区労は県労協、合化労連上越労働組合協議会、地区労加盟の各単位組合とともに八月一二日電化青海事件対策会議を結成し、原告ら三名の反対闘争を全面的に支援することとなり、その結果同月二九日参加組合は地区労を脱退した。以上の事実が認められ右認定に反する証人三浦正一、関平作の各証言は措信できず他に右認定を動かすに足る証拠はない。

被告会社らの主張する(イ)地区労はその傘下組合の大多数が総評に加盟しているため総評の意のまゝ運営駆使されており、総評は明星セメント設立の主体となつた訴外日本カーバイド工業株式会社、信越化学工業株式会社、昭和電工株式会社の各労働組合を支柱とする合化労連を基盤とする関係から、右日本カーバイド工業株式会社他二社の意をうけた同会社労働組合らが明星セメント工場設置問題について労資一体となり合化労連、総評、地区労へ順次異常な圧力をかけ、地区労を明星セメント誘致の方向に動かしていたとの事実、(ロ)原告ら三名が昭和電工労働組合の支援をうけていたとの事実、(ハ)原告らが調査委員会、処罰委員会、中央委員会の調査処罰決定をひ謗し、参加組合の運動方針と相容れない他団体の応援をたのんでビラ、集会、宣伝カーなどにより参加組合の処罰決定を非難攻撃したとの事実は、これにそう証人三浦正一、関平作の各証言は措信できず、他に右事実を認めるに足る証拠はない。

2  前掲丙第六号証の三、四、証人関平作の証言により真正に成立したものと認められる丙第一三号証の八、証人渡辺岩雄、高村誠一、田代三四郎、関平作の各証言および原告ら三名各本人尋問の結果(原告長沢、宮川については各第一回)を総合すると、昭和三四年五月二六日の参加組合第一回定期大会において、原告ら三名を再度処罰すべきであるという提案が採択され、同年六月二〇日第二回中央委員会で処罰委員会が設置され、権利停止にかんする処罰委員が再び右処罰委員会の委員に指名された。そこで処罰委員会は調査の結果、同年七月二五日中央委員会にたいし、原告ら三名は(イ)数多くのビラを参加組合の組合員に配布して明星セメント工場設立反対の組合大会決議に反対し、かつこれをひ謗した、(ロ)参加組合から権利停止処分をうけるや事実をまげて調査委員会、処罰委員会および中央委員会をひ謗し、参加組合の運動方針と相容れない外部団体の応援をたのんで、ビラ、集会、宣伝カーなどにより参加組合の右処罰決定を非難攻撃し、もつて著るしく組合の統制をみだした、(ハ)権利停止処分をうけた後も明星資本の援助をうけ、職場を明るくする会のビラを三回配布し、参加組合の機関と役員にたいし批判とひ謗を加え、また左翼分子と結託し、権利闘争を守る会のビラを数回配布し、組合の分裂を策動した、(ニ)組合の処分にたいして不服のある場合は地労委に提訴できる旨の規約があるにもかゝわらず、その救済の道をとらず、直接外部団体にたいし一方面な情報を送り支援を要請しビラなどにより不当な圧力を加え、組合の分断を図る行為を誘発した、(ホ)組合規約第四九条第一号所定の組合員の権利を停止されているにもかゝわらず、地区労にたいし処分撤回闘争を申し入れた。という理由で原告らの行為は組合規約、賞罰規定第一条第一号第五号に該当するものと断定し、原告ら三名にたいし除名、訴外松木正二郎にたいしてさらに権利停止一年を追加するよう答申した。中央委員会は、原告らから事情を聴取し、無記名投票により三六票対二票の多数をもつて右答申を承認し、ついて参加組合は組合規約第五七条、賞罰規程第二、四条、議事細則第一二条により同年七月二九日臨時大会を開催し、原告らの弁明を聴いたうえ、出席代議員三〇三名の満場一致で原告らの除名を議決し、ついで規約第一一条により右大会決議の可否を同年八月三日、同四日の両日にわたつて一般組合員の無記名投票に付したところ、有権者総数三、三八五名、総投票数三、二一六票のうち除名を可とする票数は、(イ)原告長沢については二、八二四票、(ロ)原告宮川については二、八三三票、(ハ)原告山本については二、八一一票で、いずれも総投票数の八七%以上、有効投票数の四分の三以上をもつて前記組合大会の決議が可決された、そこで参加組合は同年八月四日原告ら三名にたいし同原告らを除名する旨の通告をしたことが認められ、右認定を左右するに足る証拠はない。

第三権利停止および除名の効力

一  前記認定のとおり本件除名は、権利停止をうけた原告ら三名が該処分を争い、調査委員会、処罰委員会および中央委員会などの処罰機関をひ謗し、参加組合の運動方針と相容れない外部団体の圧力をかりて右処分決定の撤回をもとめたこと、などを理由に行なわれたものであるから、まず本件除名の前提となつた権利停止の効力について判断し、ついで除名の効力について検討することにする。

二  権利停止の効力

1  権利停止は組合員が労働組合の運営に直接間接に参加する一切の権利を特定期間剥奪する制裁であつて、除名と異なり組合員の身分を喪失せしめるものではないから、組合員に一定の非行があつた場合これに権利停止の制裁を科するかどうかの問題は、当該権利停止の期間が長期にわたりほとんど除名と同視されるような異例の場合を除き、本来労働組合の自治にゆだねられるべき事項であるが、組合の運営に参与する権利はすべての組合員に平等に認められなければならない基本的権利としての性格をもち、みだりにこれを剥奪することは許されないものであから、労働組合といえどもかゝる権利を正当な事由なくして奪うことは許されないものである、また権利停止は組合員の権利にかんする問題であるからその効力にかんする問題もまた法律上の争訟というべきであり、この点からみても権利停止の効力の問題が司法審査の対象となりうることは明らかである。これを本件についてみるに、前記認定のとおり原告ら三名はいずれも参加組合の執行委員たる立場にありながら、参加組合大会の昭和三二年五月二八日の明星セメント誘致反対決議、同三四年三月九日の地方選挙には町長に訴外柳沢新太郎を、町議会議員に明星セメント誘致に反対する立候補者を推薦する旨の決議に違反して、誘致派の町長、町議会議員の選挙運動を行なつている訴外加藤廉次郎ほか十数名の参加組合員および誘致派の町議会議員で同派の指導的地位にある訴外戸田軍平、小川正雄とひそかに会合し、被告会社および参加組合の反誘致運動、選挙活動によつてひきおこされた選挙干渉、農地買収競争および安全運動による青海工場従業員にたいする圧迫を問題にし、職場を明るくする会名議で右の人権問題にかんして被告会社に抗議しその是正をはからない組合幹部を激しく批判し、地区労、総評の助けを求めようと訴える趣旨のビラを青海工場従業員に配布したうえ、右会を通じて訴外戸田軍平らとともに人権問題の資料をしゆう集し、訴外猪俣浩三を介して法務省人権擁護局に問題を提起するため運動し、もつて右大会決議にもとづいて行なわれた参加組合の活動を批判し、右大会決議にたいし消極的態度をとつたことが認められる。ところで、被告会社らは原告ら三名の右行為は組合大会の決議に違反し、かつ組合の統制を乱したもので組合規約第五七条、賞罰規定第一条第一、二号に該当する旨主張し、原告らはこれを争うのでこの点について検討する。

2  労働組合は個々の労働者の労働力の取引における不利益な立場を団結の力により克服し、団体交渉を通じてより有利な労働条件を獲得し、労働者の経済的地位の向上を図ることを目的とする団体であり、組合の統制権ないし懲戒権は右のような目的をもつ労働組合の団結権を実効あらしめるために労働組合に付与されたものであるから、組合の統制権ないし懲戒権も右の目的にしたがつて行使されないかぎり正当な権利の行使ということはできない。したがつて労働組合が特定の政治政策を支持し、公務員の選挙に際して特定の政党あるいは候補者を支持する決議をした場合でも、右の決議が具体的に労働者の経済的地位の向上に役立ちうる場合のみ、そしてその限度においてのみ組合員を拘束するものといわなければならない。また政治活動および言論の自由は憲法の保障する基本的人権であり、労働組合といえども組合員が一市民として有するかゝる個人の自由を一般的、包括的に制限するような形式をもつて統制権ないし懲戒権を行使することは許されないものというべきであるから、組合の秩序維持、団結権擁護の目的から組合員の政治活動および言論活動(これは通常宣伝活動として現われる。)にたいし一定の制限を加えるにしても、その制限は原則的には労働組合の活動基盤たる工場その他の事業所内にとどまるべきであり、事業所外における組合員の一市民としての政治活動、言論活動の自由を一般的包括的に制限することは、特段の事由のない限り合理的理由にもとづかない組合員個人の権利、自由の侵害として許容されないものというべきである。したがつて、組合員は右のような組合員の権利、自由を侵害する組合の決議にしたがう法律上の義務はなく、また組合としてもこれにしたがわないことを理由として組合員にたいし懲戒権を行使することは許されない。つぎに組合員の組合幹部にたいする批判活動は、それが事実をことさらに歪曲し徒らに攻撃を目的とするなど不当なものでない限り、本来労働組合の自主的民主的性格を担保するものとしてむしろ奨励されるべきものであり、それが批判の範囲にとどまる限り、組合大会などの組合機関における発言と、ビラあるいは機関紙などを通じての発言との間に本質的な差異は存しないはずであるから、批判活動の自由は、それが組合機関における発言であろうと、あるいはビラ、機関紙を通じてのものであろうと区別なく保障されるべきである。したがつて、ビラ、機関紙の内容が組合幹部にたいする批判にとどまる限り、右ビラ、機関紙などの配布行為自体を懲戒権の対象とすることはできないものというべきである。

3  これを本件についてみるに、参加組合の前記明星セメント誘致反対決議は、競業会社の進出阻止という決議内容からみるならばむしろ政治活動的色彩を有するものであるから、右決議は具体的に労働者の経済的地位の向上に役立ちうる限度においてのみ組合員を拘束するものというべきであるところ、被告会社が明星セメント進出反対の理由にあげる前記認定の工場用地の狭隘、セメントの粉塵、輸送の困難、過当競争の各問題のいずれをとりあげてみても明星セメントの進出が被告会社の経営に直接的な危険を招来し、その操業に重大な支障をきたすものとはとうてい認め難いので、右組合大会決議が具体的にいかなる限度で参加組合員の経済的地位の向上に役立ちうるかの点については本件の全証拠によつても未だ明らかにされていないものというべきである。したがつて、右決議にもとづき組合員が工場外で一市民として明星セメント誘致活動をすることを一般的に禁止し、懲戒権をもつて右決議の遵守を強制することは許されないものというべきである。また選挙、投票の自由は憲法の保障する基本的人権であり労働組合といえどもかゝる権利を侵害することは許されないところであるから、参加組合が組合大会において反誘致派の町長、町議会議員候補者を推薦することを決議し、反誘致派の選挙運動をしていたとしても、組合員が工場外で誘致派の選挙運動をし、誘致派の町長、町議会議員候補者に投票することを一般的に禁止し、懲戒権をもつて右決議の遵守を強制することは許されないものといわなければない。

以上の観点から考えるならば原告ら三名の前記認定の行為は組合大会決議にとつては好ましくない行為であることはもちろんであろうが、右大会決議は前示の理由により統制力を有しないものであるから、原告ら三名が該大会決議に消極的態度をとつたとしても、これを理由に原告らにたいし権利停止の制裁を科することは許されないものというべきである。なお原告ら三名は参加組合の執行委員たる地位にあつたのであるから、前記人権問題の事実が確認された以上、これをまず執行委員会などの組合機関に提起し、組合を通じて被告会社に抗議すべきであつたにもかゝわらず、その方法をとらず、職場を明るくする会名義で前記認定のような内容のビラを組合員に工場外で配布し、誘致派の町議会議員戸田軍平とともに人権問題の資料をしゆう集し訴外猪俣浩三を介して法務省人権擁護局に問題を提起すべく運動したことは、執行委員の地位にある者として甚はだふさわしくない行為ではあるが、前記認定のとおり被告会社と同調して反誘致運動と地方選挙対策に奔走していた参加組合幹部の大部分は、明星セメント誘致問題をめぐつてひきおこされた前記人権問題を調査し被告会社と交渉してその是正をはかる熱意を欠いていたうえ、組合機関で右問題に関連して被告会社の態度を批判した組合員が、職場において上司から叱責されるという事態が生じたので、組合役員でさえ人権問題に関連して被告会社を批判することが誘致派に加担する行為と思われるのではないかという危惧の念から、人権問題を参加組合の機関に提起することに不安を感じていたことなどを勘案すると、原告らの右行動も敢えてこれを咎めることはできない。またビラ配布行為についても、ビラの内容のうち地区労、総評に救を求めようと訴えた部分については前記認定のとおり参加組合が地区労に加盟しており、総評とも友好関係にあつた点からみてそれ自体組合の一般方針に反するということはできないし、そのほかの部分についても特に事実を歪曲し徒に攻撃のみを目的としたものとは認められず、その内容よりみればむしろ右ビラ配布行為は組合員の組合幹部にたいする批判活動と評価されるべきものである。

以上認定のとおり原告ら三名については、被告会社主張の組合規約、賞罰規定所定の権利停止事由に該当する事由が認められないので、その余の点について判断するまでもなく、本件権利停止は組合規約、賞罰規定の適用を誤つた無効なものといわなければならない。

三  除名の効力

前記認定のとおり権利停止を受けた原告ら三名は訴外松木正二郎、加茂敏雄らと右処分の効力を争い、右処分が実体上の理由を欠き、手続の面においても瑕疵がある旨を主張する内容のビラを数回発行し、工場外で青海工場従業員および青海町民に配布し、さらに県労協、地区労、全新労、合化労連北信地区協議会などの諸団体に原告らの権利停止処分反対闘争を支援するよう要請し、右要請にもとづき合化労連およびその加盟団体たる信越化学労働組合、日本カーバイド労働組合ほか約一〇の組合が原告らの支援を決定し、総評議長太田薫、県労協議長杉山善太郎、地区労議長川原貞造および社会党、共産党の各代表が参加組合にたいし権利停止処分の撤回方を申し入れ、地区労幹事会は多数意見で原告らの支援を決定し、地区労大会で原告らの処分理由については調査することが決定されたことなどが認められるところ、被告会社らは原告ら三名の右行為が組合の規約に違反し、組合の統制を乱したもので組合規約第四九条、第五〇条賞罰規定第一条、第一、二、五号に各該当するので同第三条を適用して原告ら三名を除名した旨主張し、原告らはこれを争うのでこの点について判断する。

前記認定のとおりさきに参加組合が原告ら三名にたいしてした権利停止は実体上の事由を欠く無効のものではあるが、右のような処分を争う方法としては、組合規約第五八条に地労委に提訴できる旨の規定があり、また組合にたいし相当な理由を付してさきに行なわれた処分決定の取り消しを求めるため再審査の申し立をすることは条理上当然認められるところであるから、まずかゝる方法により抗争するのが相当であつたにもかゝわらず、前記認定のようなビラを配布し、外部団体の支援を求めたことは組合員として不穏当な行為であるといわざるをえない。しかしながら、権利停止の効力をめぐる紛争の調整権が地労委の権限に属さず、右組合規約所定の不服申立方法が実効性を有しないこと、前記認定のとおり権利停止の最大の事由が原告らの明星セメント誘致活動にある以上、明星セメント誘致問題をめぐつて異常な状態にある青海工場においては原告らの組合機関にたいする再審査請求がたんなる不平分子の不満として無視されるおそれがあることなどを考えあわせると、原告ら三名の右行為を咎めることはできないものといわなければならない。被告会社らは、原告ら三名が地区労、総評、合化労連およびその傘下の諸団体に支援を求めたことは全労加盟指向を決議した昭和三四年五月二六日の大会決議に違反する旨主張するが、前記認定のとおり参加組合は右決議後も合化労連の大会に執行委員を傍聴人として派遣し、合化労連、総評ともなお友好関係をもつていたものであり、同年七月二九日地区労を脱退するまでは地区労の加盟団体であつたのであるから原告ら三名の地区労、総評、合化労連およびその傘下の諸団体に支援を求めた行為が右大会決議に違反するものと評価することはできない。また原告らが配布したビラの内容はいずれも権利停止が無効であることを主張し、原告らの立場を弁明するものであつて、とくに事実を歪曲し、徒に攻撃を目的としたものとは認められず、かつ右ビラはいずれも工場外において配布されたものであるから右ビラ配布行為自体は組合員に認められた宣伝活動の範ちゆうに属する行為として容認しなければならない。してみれば、原告ら三名の前記行動をもつて組合の規約に違反し、組合の統制を乱したものとして賞罰規定第一条、第一、二、五号に該当するものとみるのは相当でなく、この点にかんする被告会社らの主張は理由がない。

右認定のとおり原告ら三名に被告会社ら主張の除名事由に該当する事由が認められない以上、原告ら主張のその余の本件除名の無効理由にたいする判断をまつまでもなく、本件除名決議はいずれも組合規約、賞罰規定の適用を誤つた無効のものといわなければならない。

第四解雇の効力

前記認定のように参加組合のした除名決議が無効である以上、たとえ被告会社が参加組合との間に締結したユニオン・シヨツプ協定にもとづき、形式上適法に原告ら三名を解雇したものであるとしても、もともとユニオン・シヨツプ条項にもとづく解雇は、組合にたいする義務履行として行なわれるところにのみ法的根拠をもつ特殊な解雇であつて、除名が無効である以上かゝる解雇は法的根拠を欠くものとして無効と解すべきであるから、被告会社の原告ら三名にたいする解雇の意思表示もまた当然無効なものといわなければならない。

第五結論

以上の次第であるから、原告長沢は、同原告と被告会社との間に昭和二一年一二月一一日、原告宮川は、同原告と被告会社との間に同二三年五月一一日、原告山本は、同原告と被告会社との間に同年同月一日それぞれ成立の被告会社を傭主とする期限の定めのない雇傭契約にもとづき右同日より現在にいたるまで引き続き被告会社の従業員たる地位を有しているにもかゝわらず、被告会社はこれを争つているのであるから、原告ら三名はこれが確認を求める利益を有するものというべきであり、したがつて原告らが被告会社にたいし、右雇傭契約の存続することの確認を求める本訴請求は理由があるのでこれを認容し、訴訟費用の負担については民事訴訟法第八九条、第九四条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 吉井省己 岡垣学 元吉麗子)

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